|
第18回 「バターン追悼死の行進」 に4千人参加
彼らが置かれた状況、そして戦いが終わってから遭遇した苦難は、異例なものでした。彼らはマラリアが蔓延する地域で、通常の半分或いは4分の一の食糧と、医療の助けをほとんど受けられな状態で、戦いました。彼らは、時代遅れの兵器で、飛行部隊からの援護が全く無いまま で、戦いました。 1942年4月9日、何万人ものアメリカ兵とフィリピン兵が、日本軍に降伏しました。これらのアメリカ兵は、陸軍・陸軍航空隊・海軍・海兵隊に所属していました。捕虜となったこれらの兵士の中にいたのは、ニューメキシコ州第200沿岸警備隊の隊員たちでした。 彼らは、焼けつくようなフィリピンのジャングルを、何日も行進させられました。何千人も死にました。行進に生き残った者には、過酷な捕虜収容所での生活が待っていました。そして他の者は、捕虜輸送の印をつけない船で日本に移送される途中、米軍の爆撃と 米海軍の攻撃に遭って、死亡しました。
1989年、ニューメキシコ州立大学の予備役将校訓練部隊は、同州出身の多くの兵を巻き込み、州内の多くの家族に影響を与えたこの歴史的出来事を忘れないために、追悼行進を開催しました。1992年には、ホワイトサンズ・ミサイル発射場とニューメキシコ州沿岸警備隊が、共催者として加わり、 会場もミサイル発射場に移されました。 2003年だけは、追悼行進が中止されました。通常この行事を支援する隊がイラク戦争に派兵された部隊に所属していたため、安全で潤滑な行進を実施することができなかった のです。 当初は 100人程度の参加者で始まった追悼行進も、今では全米そして外国数カ国からも含めて、4,000人以上が参加するようになりました。依然として軍の行事ではありますが、多くの一般市民も挑戦しています。 行進者は、この行事にさまざまな理由で参加します。−自分への挑戦、競争精神、或いはチームスピリットを養う為などです。ある者は、バターン死の行進を歩いたりフィリピンで日本軍の捕虜になった家族の誰かに敬意を表すために、行進します。
シュアーツ大佐は、「バターン追悼死の行進」運営メンバーの一人です。
開会式 ビデオクリップ
「バターン死の行進」から生還した人々と会い、とても謙虚な気持ちになりました。彼らは本当に畏敬の念を抱かせる男たちでした。私は、彼らの前に立ったとき、非情な敵と面して彼らが払った犠牲と勇気に対し、どのように感謝の気持ちを伝えてよいのかわかりませんでした。スタート/フィニッシュラインで、生還者と握手したとき、その中の一人が私を見て一言「来てくれて有難う」と言いました。その瞬間の私の感動は、とうてい言葉では表せません。この先、一生涯忘れないでしょう。
捕虜だった父親のために走った息子たち
表彰式
閉会式 シュアーツ大佐のリードで歌われた「God Bless America」 ビデオクリップ
|