2007年のニュース  2008年のニュース   2009年のニュース  2010年のニュース   2011年のニュース 2012・3  2014


12/23/06

ピーター・パーソンズのエッセイ
チック・パーソンズ米海軍中佐と日本人」追加

パーソンズ中佐は
第二次大戦中に、フィリピンのレジスタンス部隊への潜水艦隊による補給作戦を指揮した人物です。

 


12/16/06

知られざるパールハーバー:フィリピンにおけるバターン死の行進

12月7日、ロサンゼルス地域で視聴率ナンバーワンを誇るKTLAのモーニング・ニュースは、バターン死の行進と日本企業により奴隷労働を強いられたアメリカ兵捕虜のストーリーを、放映した。 番組では、バターン死の行進に生き残り三井炭鉱で3年間の奴隷労働を強いられたレスター・テニー博士と、日本企業を相手取った訴訟で元捕虜の代理人を務めたジェームス・パーキンソン弁護士が、紹介された。

番組では、三菱・川崎・新日鉄・三井などの企業に謝罪と補償を求めた訴訟(2004年に全て棄却)に最も反対したのは米国政府であったと、説明された。
 

             

     
私たちは毎日12時間、石炭を掘らせられました。     平和条約は、補償をすることを禁じていません。
    炭鉱内では、民間人監督に殴られました。
        次の議会が元捕虜を支援することを期待します。  

 

             
   
  KTLA リポーターのジャネット ・チョイと              ベティ夫人と


「いつか、バターンの兵士たちが味わった苦しみが、きちんと認められる日が来て欲しい。」

                            
   ・・・・・レスター・テニー(86歳)


11/26/06

「WWII History」マガジンに掲載されたPOW体験

元捕虜でUS-Japan Dialogue on POWs, Inc. の役員であるドナルド・ヴァーソー氏の捕虜体験が、『WWII History』マガジン2007年1月号掲載の歴史家Eric Niderostによる記事で、紹介された。日本の炭鉱で強制労働に従事させられたドンは、記事の最後で、「日本政府は、日本人がもっていると称えられる優しい心を用いて、過去の過ちに謝罪をするべきだと思います。それは、日本のためにもよいことなのです。」と語っている。

                



「捕虜:日米の対話」京都のセミナーで紹介

US-Japan Dialogue on POWs. Inc.の設立者・代表の徳留絹枝は、11月17日から19日まで京都で開かれたセミナーで、ウエブサイト「捕虜:日米の対話」について発表した。セミナーは、「公共哲学京都フォーラム」と「同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター」が共催し、「情報とメディアが開く公共世界」というテーマで行われた。徳留は、情報とメディアの倫理的・ 有効的使用のケーススタディとして、ウエブサイトを紹介した。
 

高校生のPOWプロジェクト

ワシントン州に住む高校一年生のアンソニー・ゼンデヤス君は、日本軍に捕われた捕虜に関する詳細なリサーチを続けてきた。彼は、州の地区コンテストと全州コンテストで、捕虜に関する自作自演の10分間の劇を演じ、それぞれ2位と4位を獲得した。以下は、アンソニー君のエッセイと劇である。

Anthony Zendejas エッセイ,        Anthony Zendejas 劇

 


11/1/06

第2回 POW エッセイ・コンテスト 要綱発表 エッセイ・コンテスト


10/29/06

エッセイ「パラワン捕虜虐殺」 を追加
 


10/17/06

赦すことと謝罪について
ハロルド・プール氏 と故デユエイン・ハイジンガー大佐との対話 を追加


10/4/06

捕虜体験記の出版

元捕虜の
スティーブ・レイモンド 氏と、ピューリツァー賞選考委員を務めるジャーナリストであるマイク・プライド氏は、捕虜体験記、
Too Dead to Die: A Memoir of Bataan and Beyond

(
死ぬには死にすぎている:バターンを超えて』)を共同執筆した。

詳細はToo Dead to Die

 


9/25/06

渡辺義治 氏のエッセイ 告白――私の生と「加害の罪」 追加        
 


9/9/06

名誉勲章受章者 ホゼ・カルガス・シニア氏の捕虜体験記追加  カルガス


8/30/06

US-Japan Dialogue on POWs, Inc. 役員 マイケル・ホンダ下院議員を訪問

8月29日、レスター・テニー博士、ドナルド・ヴァーソー氏、クレイ・パーキンス氏、そして徳留絹枝は、元日本軍捕虜米兵の長年の支援者であるマイケル・ホンダ下院議員(民主党:カリフォルニア州選出)を、訪問した。席上話し合われたのは、最近下院と上院に提出された捕虜への補償に関する法案と、元捕虜とその家族の日本訪問プロジェクトの可能性などについてだった。

 



Mr. Versaw, Ms. Tokudome, Mr. Perkins, Congressman Honda and Dr. Tenney

 

寄贈された日本軍刀

第二次大戦中日本軍の捕虜となったアビー・アブラハム氏は、戦後日本軍の将校から受け取った軍刀を8月27日、ウエスト・ヴァージニア州のブルック郡公立図書館に、寄贈した。(アブラハム氏の捕虜体験記)元捕虜仲間であるエドワード・ジャックファート氏とジョーゼフ・ヴェーター氏が、寄贈式に参列した。

                                                                                    photo courtesy: Mr. John McCabe       

                          
 
                                                 Mr. Abraham,   Mr. Jackfert  and    Mr. Vater      

席上、ジャックファート氏がスピーチをした。  スピーチ

「私たちは希望を失っていませんし、これからも正義を求め続けます…」


8/15/06

Soldier Slaves (奴隷 にされた兵士たち) 」が米TVで取り上げられる

8月12日と13日、アメリカのC-Span TV (連邦議会の実況や要人のインタビュー、時事問題セミナーなどを放映する非営利TV局)は、Soldier Slaves (奴隷 にされた兵士たち) 」 に関する番組を放映した。番組では著者であるジェームス・パーキンソン氏 (インタビュー記事)とリー・ベンソン氏、元日本軍捕虜のハロルド・プール氏、そして 元捕虜を支援してきたユタ州選出のオーリン・ハッチ上院議員が、それぞれ発言した。

   


ハッチ上院議員は8月3日、第二次大戦中に捕虜として日本企業のために奴隷労働を課せられた米軍人と米政府雇用者、或いは彼らの未亡人に補償するための法案 S.3811を提出しました

法案の詳細は http://thomas.loc.gov/  を開き、 Search Bill Text S. 3811と入れ て、読むことができます


8/6/06

米下院に提出された日本軍米捕虜支援法案

米下院に7月28日に提出された法案 H.R. 5972の目的は、第二次大戦中に捕虜として日本企業のために奴隷労働を課せられた米軍人と米政府雇用者への補償に備えるため、それらの人々にさらなる補償をする目的の献金を受け取る権限を国防長官に与えること、奴隷労働から利益を得た日本企業にそのような献金を奨励すること、などである。

法案の詳細は http://thomas.loc.gov/  を開き、 Search Bill Text に H.R. 5972と入れ て、読むことができます
 


7/28/06

アビー・アブラハム氏の捕虜体験記追加 アブラハム


7/5/06

麻生外務大臣、捕虜の慰霊祭に出席

麻生太郎外務大臣は7月3日、東大阪市の重願寺で営まれた、第二次大戦中に日本で死亡した連合軍捕虜の慰霊祭に出席した。

当初の計画では、アメリカを含む旧連合国の駐日大使たちも招待されていたが、英語圏のメディアで麻生氏の真意を疑問視する記事が数回掲載された後、招待は撤回された。

               
最近、麻生氏の家族が所有していた炭鉱で、戦時中300人の連合軍捕虜が強制労働に就かされていたことが明らかにされたが、9月の総裁選への出馬を既に表明している麻生氏は、その事実を認めていない。

慰霊祭に出席した麻生氏は、「約60年間、捕虜をおまつりいただいたお寺に心から感謝したい。」と語ったという。

『Conduct Under Fire 』の作者で父親が捕虜だったジョン・グラスマン氏は、外務省の高官から慰霊祭に参加するよう招待されていたが、麻生氏のみの出席となったことを知り、日本への旅行を取り止めた。朝日新聞インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙 掲載の記事で、グラスマン氏は次のように述べている。

 「私は、これが、この微妙な問題に日本が取り組む機会を提供するのではないかと思ったのですが、イベントは公式な行事から私的なものに縮小されてしまいました。外務省は、この問題が当初彼らが考えていたよりずっと複雑な問題であることに、気付いたのです。」

同記事は、「日本政府の公式見解は従来どおり、戦時中の捕虜の取り扱いは、1951年のサンフランシスコ条約に沿って日本が連合国に行った補償により解決済み、というものである」 と最後に書いている。

グラスマン氏と彼の著書 『Conduct Under Fire』に関する詳細: インタビュー


6/30/06

日本からのニュース

『朝日新聞』に掲載された大学生と元捕虜の交流

『朝日新聞』論説委員の清水建宇氏は、先月アリゾナ州フェニックスで開かれた元日本軍捕虜の会 「American Defenders of Bataan and Corregidor」 総会に出席した吉田麻子さんの感想を、「窓」欄で紹介した。

写真は、 吉田さん、「バターン死の行進」の生還者ジェームス・マーフィー氏、アメリカ側から出席した大学生アダム・ドネスさん
 

 朝日新聞 2006年6月30日  「窓」  論説委員室から   バターン死の行進

(伊吹由歌子)



6/19/06


Soldier Slaves (奴隷 にされた兵士たち)
著者ジェームス・パーキンソン氏へのインタビュー掲載
   
Soldier Slaves
 

 
           
 



6/16/06

日本のビジネス誌で取り上げられた捕虜強制労働

The Oriental Economist Report の編集委員ピーター・イニス氏は、日本で第二の発行部数を持つ経済誌 『週刊東洋経済』 6月17日号に、以下の記事を発表した。

太平洋を越えた靖国問題
小泉訪米と靖国参拝 米国の怒りと戸惑い

イニス氏はこの記事で、第二次大戦当時海軍に勤務していた退役軍人であるヘンリー・ハイド下院外交委員長が、デニス・ハスター下院議長に書簡を送り、小泉首相が今年8月15日の靖国神社参拝を見送るとの約束を取り付けないかぎり、首相に米議会でのスピーチを許すべきでない, と提言したことを書いた。靖国神社には、東条英機ら14人のA級戦犯が合祀されている。イニス氏は続けて以下のように書いた。 

「パール・ハーバーの記憶は、今も米国に深く残っている。小泉首相の度重なる靖国参拝は、高齢となった第二次世界大戦の退役軍人、特に強制労働を強いられた元戦争捕虜たち、フィリピンで旧日本軍から過酷な扱いを受けた犠牲者たちを挑発している。彼らの中には、戦争中に日本からひどく虐待されたのに、十分な補償も謝罪もされていないと感じている人がいる。」


ADBC大会でのレスター・テニー博士基調演説

イニス氏の記事の英語のオリジナルには、5月にフェニックスで開かれたADBC(元日本軍捕虜の会)大会の様子も書かれていた。大会では、ADBC副会長のレスター・テニー博士が基調演説をした。


戦争は終わったが、記憶は残る: 遅すぎる正義は不正義である

 


6/9/06

サント・トマス民間人収容所を描いたドキュメンタリー「Victims of Circumstances(戦火に巻き込まれた被害者)」がルー・ゴパル氏とミシェル・バン氏の製作でこのほど完成した。

        

詳細は Victims of Circumstance


6/2/06

日米の大学生、全米元捕虜の大会に出席

US-Japan Dialogue on POWs, Inc が実施したエッセイコンテストで優勝した日米二人の大学生、埼玉県在住の吉田麻子さんとワシントン州在住のアダム・ドネスさんが、アリゾナ州フェニックスで5月18日から21日まで開催された「American Defenders of Bataan and Corregidor (ADBC:フィリピンで日本軍の捕虜になった米兵の団体)の 2006年度大会に出席した。

詳しい報告は 日米の大学生 で読める 。



フィリピン・スカウト歴史協会 (
The Philippine Scouts Heritage Society)の年次総会

US-Japan Dialogue on POWs,  Inc. の設立者・代表の徳留絹枝は、 5月27日と28日にサンフランシスコで開催されたフィリピン・スカウト歴史協会   The Philippine Scouts Heritage Societyの第22回年次総会に、基調演説者として招待された。

フィリピン・スカウトは、第二次大戦開戦時、米国陸軍の一部であり、フィリピン防衛のために果敢に戦った。降伏の後は、アメリカ兵と共に「バターン死の行進」を歩き、2万6千人以上のフィリピン兵が死んだオドネル捕虜収容所に収容された。

基調演説: 徳留 PSHS speech
                                                   
メル・ローゼン大佐と会長のフレッド・フォズ少佐と

 


5/13/06
 

追 悼

日本軍の捕虜として死んだ父を描いた「Father Found」 の 著者デュエイン・ハイジンガー退役海軍大佐が、2006年5月1日逝去した。彼は「ヘルシップ追悼碑」建設に尽くし、2006年1月フィリピン ・スービック湾での序幕式にも参加した。5月11日、ヴァージニア州フェアファックスで営まれた葬儀では、参列者が「デュエインは多くの人々の人生によい影響を与えた」と故人を偲んだ。

Father Found: http://www.fatherfound.com/index.shtml
ハイジンガー大佐のエッセイ:父の発見:息子がさがした亡き父



ローラバッカー下院議員

ハイジンガー大佐の葬儀に出席してカリフォルニアに帰る飛行機の中で、徳留絹枝は、デーナ・ローラバッカー下院議員(共和党:カリフォルニア州選出)と会った。徳留からヘルシップ追悼碑の説明を聞いた議員は、下院 外交委員会委員長のヘンリー・ハイド下院議員(共和党:イリノイ州選出)と一緒にこの8月フィリピンを訪問する際、追悼碑を是非訪問したいと、表明した。ローラバッカー議員の義理の叔父は、1942年フィリピンで日本軍の捕虜となり、その 後ヘルシップで中国奉天の捕虜収容所に送られ、終戦まで強制労働に従事させられた。


 


4/30/06

ナンシーA. マーフィー氏のエッセイバターン死の行進追悼マラソン」追加


4/20/06

日本からのニュース

書籍、ウェブサイトなどの出版物で、海外でも地獄船の絵の画家として知られる上田毅八郎氏が、スビック湾歴史ミュージアムの地獄船展示に、 「鴨緑丸」の新作水彩画を贈ることになった。このほど完成した作品がまず電子メールで関係者に配信された。地獄船記念プロジェクトの責任者ランディ・アンダーソン氏はメールで、「この絵を見て、私たちはこれを中心に地獄船展示の中心に掲げようと張り切っています。」スビック湾市当局のウェブサイトに新設するコーナーにもこの絵が使われる予定ということだ。POW研究会のメンバーである三輪祐児氏は、上田氏のエージェントとしての役割をはたしてきたが、彼は6年まえに上田氏の絵を知り、自身のサイト「戦時下に失われた日本商船」に掲載するようになった。http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/ それ以来、上田氏の絵は言葉の壁をこえて多くのひとの心を捉えてきた。

2006年1月、地獄船を覚え犠牲者追悼の旅に参加を許されて、私がスビック湾のケヴィン・ハムドルフ氏に上田氏の絵の話をしたところ、彼は雑誌 『The Bay 』の地獄船特集号に上田氏の「鴨緑丸」を掲載した。太平洋戦争中、徴兵された上田氏は「金華丸」の砲手としてフィリピン海域の戦闘で右手の自由を失い、戦後、彼は左手で絵を描きはじめたのである。 「鴨緑丸 」で輸送されて死亡した捕虜の息子であるデユエイン・ハイジンガー氏ら多くの想いのこもる記念碑がスビック湾に建立され、現地のひとたちとやりとりするうち、三輪氏は上田氏に手紙を書き、 「鴨緑丸」の沈むスビック湾に同船の絵のオリジナルを贈ってはと提案した。上田氏からただちに電話があり、新作の製作と寄贈の申し出となったものである。POW研究会では過去を記憶し、和解と平和を願うこのプロジェクトへの支援を表明している。
(伊吹由歌子)
 



スビック湾歴史ミュージアムに寄贈される上田毅八郎氏の新作水彩画 「鴨緑丸」


4/17/06

エッセイコンテスト優勝者決定
「日本軍捕虜エッセイコンテスト」の優勝者が、以下のように決定されました。

吉田麻子(埼玉県在住、津田塾大学)
アダム J.ドネイス
ワシントン州 Chattaroy 在住、 Spokane Falls Community College)

二人のエッセイと日本語訳は優勝者エッセイで読めます。


4/7/06

ジョンE. オルソン大佐の捕虜体験記追加。 オルソン


3/29/06

ジェイン・カンブス夫人とハンナ・ヴァラク・ロマンス・ウィザースプーン夫人によるエッセイが追加されました日本の地獄船でチェコ人の父を失ったふたりの少女

 

エドワード・ジャックファート氏の回想録

American Defenders of Bataan and Corregidor (バターンとコレヒドールで日本軍の捕虜になった退役米兵の全国団体)の元代表エドワード・ジャックファート氏の回想録 「Service to My Country」 が出版されました。

ジャックファート氏は、序章で次のように書いています。

自分の人生について書いてみようと思った理由の一つは、経済的物資に恵まれない貧しい環境で育った自分が、そのような逆境の成長環境ゆえに、その後の人生で成功するための決意と持続力を持てたことを、示したかったからです。まさにそのような家庭環境が、3年4ヶ月に及んだ日本軍捕虜としての想像を絶する残虐な状況に生き残る精神力と持続力を、与えてくれたのだと思います。」

ジャックファート氏は、東京捕虜収容所第2(川崎)に収容され、三井倉庫などで強制労働に就かされました。
 

開放軍を歓迎する捕虜たち(白い矢印がジャックファート氏)
川崎の日清製粉捕虜収容所付近で

ジャックファート氏の捕虜体験の詳細ジャックファート


3/17/06

The Unforgettable B-29: A Tribute

瀋陽在住の歴史家ヤン・ジン氏が、瀋陽(旧奉天)周辺に墜落して死亡或いは日本軍の捕虜になったB−29の搭乗員に関してまとめた記事が、アメリカの雑誌『
Air Power History 2006年春号に、掲載されました。
 


ヤン氏は、奉天にあった日本軍の連合国捕虜収容所に関して、国際的に認められた歴史研究者です。2003年には、中国でこのテーマで出版された最初の著書、「Mukden Nirvana」 (「奉天の苦難を逃れて」)を上梓しています。奉天収容所跡地保存プロジェクトのメンバーでもあります。

 

      
  

  
             記事の書き出し                  ヤン・ジン氏:奉天収容所捕虜だったボブ・ブラウン氏
                                                             収容所を解放したOSSメンバーのハル・リース氏と

 

記事の全文は:  afhf@earthlink.net に購読を申し込んで入手できます。


3/11/06

徳留絹枝の記事 "Troubling Legacy: World War II Forced Labor by American POWs of the Japanese," がJapan Focus に掲載されました。

Japan Focus Troubling Legacy
 


3/5/06

アラン・オーヴァマイア氏のエッセイ追加: 「バターン死の行進」 追悼マラソン


2/22/06

地獄船追悼碑の碑文とジェームス・ロイター神父の祈りを掲載  地獄船追悼碑


2/13/06

文芸春秋』誌、「バターン死の行進」生還者からの抗議の手紙を掲載

『文芸春秋』誌が、12月24日に報告したバターン死の行進に関する記事へのレスター・テニー氏の抗議に反応した。3月号の編集者への投書欄で、編集部からのコメントとともに、全訳を掲載した。当該記事へ詳細に反論し た手紙の全訳は、5ページにわたり掲載されている。手紙原文は以下のサイトで読める。

Dr. Lester Tenney's letter to the editor of the Bungei Shunju

文芸春秋』編集部のコメント

2005年12月号掲載、笹幸恵氏「バターン死の行進 女一人で踏破」について、日本軍の捕虜として六十四年前、「バターン死の行進」を体験したレスター・テニー氏より、抗議の手紙が編集部に届きました。「バターン死の行進」で日本軍の捕虜虐待行為によって多くの犠牲者がでたことは、歴史的事実です。笹氏の記事はこうした蛮行の否定を意図したものではありませんし、編集部にもそうした意図がないことは言うまでもありません。同記事では元捕虜の人々の証言を紹介することができませんでした。捕虜として悲惨な体験をされたテニー氏の肉声は貴重です。

(伊吹由歌子)

手紙の掲載を知ったテニー氏の感想

『文芸春秋』誌は謝罪はしませんでしたが、私の抗議の手紙の全文を日本語で掲載してくれましたので、そのことには満足しています。それに加えて編集者は、私の手紙に、「バターン死の行進」を体験した私たち元捕虜に実質的に敬意を表する内容の前書きを、添えてくれました。記事の著者である笹氏から、私宛に説明なり謝罪があればよかったと思いますが、彼女が、自分の書いたり行ったりしたことに何か問題があったと気付いているのか、私には分かりかねます。

読売新聞は2月13日、『文芸春秋』誌がテニー氏の抗議の手紙を掲載したこと、彼がそれを受け入れたことを伝える記事を、掲載した。


2/6/06

伊吹由歌子氏のエッセイ追加 元捕虜の日本再訪と遺族の初訪日
 


2/2/06

ハイジンガー退役米海軍大佐が日本のメディアで紹介される

日本で第3位の発行部数(400万)を持つ「毎日新聞」は2月1日、最近フィリピン・ヘルシップ・メモリアル・ツアーを実施したデユエイン・ハイジンガー退役米海軍大佐に関する記事を、掲載しました。またツアーに同行した徳留絹枝とバイリンガル・ウエブサイト「捕虜:日米の対話」も紹介しています。


ハイジンガー大佐エッセイ: 
父の発見:息子がさがした亡き父


 

1/28/06

ヘンリー・モファット・ナイジェル 氏のエッセイ追加
ヘルシップ:捕虜輸送の地獄船を忘れないために        
 


1/14/06

「バターン死の行進」記事に関する記者会見

1月13日、サイモン・ウィーゼンタール・センター副所長のエブラハム・クーパー師は、『文芸春秋』誌上で最近発表された「バターン死の行進」の記事に関して記者会見を開き、「死の行進」の生還者であるレスター・テニー博士とロバート・ブラウン氏が発言しました。(記事 の要約はエッセイ欄で読めます。)会見は、ロスアンゼルスにあるサイモン・ウィーゼンタール・センター「寛容の博物館」で
開かれ、日本の主要新聞と通信社の記者が参加しました。会見数時間後には、読売新聞がその模様を報告した記事を発表し、1月14日には、共同通信が発信した記事がJapan Times に掲載されました。

 



寛容の博物館で
徳留絹枝、ロバート・ブラウン氏、レスター・テニー博士、エブラハム・クーパー師
 


1/10/06

エッセイ追加
アメリカの友人への手紙-
60年目の「シベリア抑留」日本は老兵と正義を見殺しにしている
池田幸一


1/3/06

エッセイ追加 
We Band of Angels 著者 エリザベス・ノーマン教授へのインタビュー

 


12/24/05

エッセイ追加 
『文芸春秋』誌に掲載された「バターン死の行進」に関する記事について
伊吹由歌子


エブラハム・クーパー師と徳留絹枝の意見記事日本語訳掲載

 
60年目の退役軍人の日:日本はバターンの生存者に謝罪をするだろうか
 


12/10/05

アベル F. オルテガ氏の捕虜体験記追加 オルテガ
 


11/25/05

"US-JAPAN DIALOGUE ON POWS. INC." 、カリフォルニア州の非営利団体になりました。

組織の詳細は「自己紹介」でご覧下さい。

 

エッセイコンテスト要綱を掲載 詳細はエッセイコンテストでご覧下さい。


11/11/05

エブラハム・クーパー師、徳留絹枝の意見記事掲載 (英語)

This Veterans Day Will Japan Finally Apologize to the Last Survivors of Bataan?
 


11/9/05

エッセイ追加 「阿里山丸 」の悲劇 ウィリアム・ボーエン
 

ロバート W ・フィリップス神父「捕虜体験記」への応答

関田寛雄氏(青山学院大学名誉教授、日本基督教団牧師)の応答を、フィリップス神父体験記の後に掲載しました。 フィリップス神父
 



11//05

日本からのニュース

永瀬隆さん(87歳)が10月26日、第12回読売国際協力賞を受賞されました。帝国ホテルで授賞式があり、300人のひとが集まって夫妻の永年の活動が読売により顕彰されたことを喜びました。

泰面鉄道で陸軍通訳として何度も捕虜の拷問に立会い、終戦直後は連合軍通訳として、1万3000人といわれる連合軍捕虜死者の墓地捜索に従事した永瀬隆さん。「連合軍捕虜のことを忘れてはいけない」と泰面鉄道で強制労働させられた元捕虜たちへ謝罪と和解の活動に従事し、現地の連合軍墓地で120回を超える慰霊の時を持ってきました。また、残虐な占領者であったにもかかわらず、日本兵が帰還のとき全員に米とザラメを持たせてくれた優しいタイの国との和解のために、クワイ河平和基金を樹立、1000人を超えるタイ人学生に奨学金を送り、医療面の援助活動などを、休むことなく続けています。

11月には沿線を自転車で走るマレー半島ピース・サイクルに同行、再びタイを訪れます。来年2月20日、88歳の祝いには、カンチヤナブリに彼の像がタイの元留学生たちにより建立される予定があり、また5月には元捕虜で、いまは親しき友、エリック・ロマックス氏と再会のため英国を訪れます。ご夫妻の健康をお祈りして、この良いニュースを皆様にお届けします
(伊吹由歌子)
 


   
            表彰を受ける永瀬ご夫妻                  POW 研究会のメンバーと



10/2/05

ロイ・ウィーバー氏の捕虜体験記追加 ウィーバー
 

日本からのニュース

元捕虜のレスター・テニー氏は2003年、自著 My Hitch in Hellの日本語版出版記念に合わせて来日しましたが、その折、ドキュメンタリー作家の熊谷博子監督からインタビューを受けました。当時熊谷監督は、三井三池炭鉱の歴史に関するドキュメンタリーを製作中で、テニー氏は、戦時中にそこで奴隷労働に就かされた体験を語りました。熊谷監督は2年間を費やし、炭鉱の歴史に関った72人の関係者の声を録画しました。短時間の版がすでに大牟田石炭産業科学館で常設上映されており、館を訪れる人々がテニーさんの体験を聴いているそうです。今年、福岡アジア・フィルム・フェステイヴァルの正式招待作品として、熊谷監督により、もっとも長い103分の版が製作されました。 
(伊吹由歌子)


10/18/05

エッセイ追加: 身を以って臨みし戦忘れねば、その愚かさと惨さ伝えん 」 土屋公献 

土屋弁護士は、元日弁連会長、「731部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟」弁護団長


10/2/05

日本からのニュース

9月23日から24日の休日に、長野県天龍村でPOW研究会の第四回例会が行われ、内海愛子教授、笹本妙子、福林徹の3代表をはじめ12名が参加した。約40名の会員の多くは個々の仕事を持つ自発的な捕虜問題のリサーチャーたち、しかもいつもは全国に散らばって生活しているのである。

天龍村は、東京第12分所(通称:満島収容所or平岡収容所)があった所で、英米人捕虜300人前後が、天竜川・平岡ダムの建設作業に従事させられた。終戦までに59人(アメリカ人21人、イギリス人38人)が死亡し、戦後の戦犯裁判では6人の関係者が絞首刑に処せられた。捕虜帰国後の裁判で通訳も十分でなく人違いの疑惑があるなど、双方に深い傷跡を残した収容所だった。

1952年からリチャード・ゴードンはじめ数名の米英元捕虜が再訪し、元捕虜の地元と交流が始まってもいる。捕虜収容所の跡地は今中学校の敷地となっているが、2000年秋、その一角に捕虜の慰霊碑が建立された。碑の裏側には死亡者の名前が記されている。P研メンバーはこの慰霊碑を見学し、また元看守の遺族など当時を知る関係者、地元歴史家の話を伺い、天龍村の文化センターというべき「なんでも館」に展示された貴重な資料に当時の様子を知る事ができた。

平岡ダムの建設には、英米人捕虜の他、強制連行の中国人・朝鮮人も強制労働に従事させられ、多数の犠牲者を出している。その慰霊碑も含め五つの慰霊碑を訪ねて彼らを偲び、過去の事実に根ざした新たな友好の未来を願った。

(伊吹由歌子, 資料提供:笹本妙子)



POW研究会のメンバー:捕虜の慰霊碑前で



東京捕虜収容所第12分所で亡くなった捕虜の名前が刻まれた慰霊碑
(写真撮影:長沢のり)


9/1/05

奉天捕虜収容所生還者の集い

第22回奉天捕虜収容所生還者の集いが9月7日から11日まで、シェリー&スー・ジンブラー夫妻の主催により、ニューヨーク州キングストンで開かれました。中国奉天の収容所に収容されていた11人の元捕虜、 1945年8月に彼らを解放した6人編成OSS部隊の一人ハル・リース氏が参加し、その他に彼らの家族50人余りが集いました。

生還した捕虜とその家族全員が、ニューヨーク州知事、James Sottile市長そしてBill Larkin.州上院議員からの声明書と歓迎の言葉を受け取りました。

参加者は、キングストン観光、ウエスト・ポイント礼拝堂での追悼会など、思い出に残る時を過ごし、さらに Miramax と Jon Dahl 監督の好意により、素晴らしい映画 The Great Raid を観賞することができました。

2006年の奉天捕虜収容所生還者の集いは、ワシントン州 Walla Walla、翌2007年には再びキングストンで開催されることが決まりました。

                                                         photo courtesy of Mr. Bob Rizzo    

Robert Rosendahl, Hal Leith (OSS), Robert Wolfersberger, Robert Brown, Erwin Johnson, Jim Bogart   
    John Bo,         Val Gavito,        Charles Dragich,       Roy Weaver,       Joe Brasel,      Wayne Miller
 

会のハイライトは、瀋陽(旧奉天)から参加したヤン・ジン氏による、捕虜収容所跡地保存プロジェクトに関する発表でした。ヤン氏は、現在瀋陽市が進めている保存プロジェクトの歴史アドバイザーを務めています。参加者、特に元捕虜の方々は、収容所跡地が歴史博物館となること、そこに収容されていた約1,700名の捕虜全員の名前が、メモリアル・ウォールに刻まれることを知り、大変喜びました。

     
    
        ヤン・ジン氏               保存作業が進む旧奉天捕虜収容所


9/3/05

ジム・ネルソン氏のエッセイ"The Causes of the Bataan Death March Revisited" の日本語訳掲載 「バターン死の行進」- その原因の再考 
 


親切だった日本人の家族を探しています

元捕虜のお子さん二人から、父親に親切だった日本人に関する依頼がありました。

最初は、カバナツアン収容所に収容され、後に「江之浦丸」船上で亡くなった陸軍医
Clarence White 少佐の娘さんNancy Kraghさんからです。

「私の手元には、カバナツアン収容所で、父を含んだ何人かの軍医と収容所最初の日本人医者だった小西軍医の写真があります。この写真の中の一人はまだ存命で、小西軍医に関する興味深い話を覚えています。また別の会で私が会った元捕虜は、小西軍医について話してくれました。彼らの話を総合すると、小西軍医という人物は、自分の政府のやり方に完全に同意せず、捕虜に医療補助を施そうと努力してくれたようです。私はこれまで何度も、彼の家族も同じ写真を持っていて(この写真は彼自身が自分のカメラで撮ったそうです)、これらの話を聞きたいのではないだろうかと、思ったものです。

Kraghさんは、小西軍医のご家族を見つけたいと希望しています。


カバナツアン収容所医療班

1.  Raymond McKinley Williams 少佐 (生還)

2.  W.R. Craig 中佐
(「ブラジル丸」船上で死亡)

小西軍医

3. W. Hinton Drummond 中佐
(
鴨緑丸 」船上で死亡)

4. Harry Leighton VC 少佐
(「江之浦丸」船上で死亡)

5. Clarence White 少佐
(「江之浦丸」船上で死亡
)

6. Charles Lewis 大尉 (生還)

7. Karl H. Houghton少佐 (生還)


 


 

次は、「バターン死の行進」生還者の息子さん Steve Bull 氏からの依頼です。

「私の父、フロイド(ジョニー)・ブル一等兵がフィリピンで日本軍の捕虜だった時、親切にしてくれた日本人監視員の、写真を送ります。父はクラーク基地に勤務しており、降伏の後は、オドネル収容所まで死の行進を歩きました。1942年10月から1943年9月の間、彼はマッキンリー要塞で、トラックの運転手兼整備士でした。彼がこの監視員と出会ったのは、恐らくそこだったと信じます。

1944年7月、彼は日昌丸で日本の神岡に送られ、1945年9月まで鉛鉱山の掘削工として働きました。

戦後彼は軍隊に戻り、私達家族は50年代の終わりに横田と立川の空軍基地に住みました。ときおり私達が基地の外に出かけるとき、父は、この監視員を知っている人がいないかと期待して、写真を見せたものです。父は日本人に対して何も悪感情を持っていませんでしたし、50年代の終わりに日本に滞在した日々を楽しんでいました。

もしこの写真の人物を知っている人がいたら、私の住所を伝えて下さって結構です。私からお礼の手紙をお送りしたいと思います。 」
 

60年以上も過ぎた今、この二人の日本人の家族を見つけられる可能性は、非常に小さいでしょう。それでも私は、これらの写真を掲載します。本当に少数であったにしても、彼らのような人々が為した親切な行為が「人間性」への信頼を回復させることを、私たち全員に教えているからです。 (徳留絹枝)


8/21/05

バターン死の行進に関するエッセイ

父親が日本軍の捕虜だったジム・ネルソン氏が、日米の資料をもとに書いたエッセイ「The Causes of the Bataan Death March Revisited」が、英語ページのESSAYS欄に掲載されました。 日本語訳は後日掲載します。 Nelson 
 

エドワード・ジャックファート氏の捕虜コレクション展示

8月15日、ウエストヴァージニア州のブルック郡立図書館において、エドワード・ジャックファート氏の第二次大戦捕虜資料 『フィリピン防衛軍:1941−1945、バターン/コレヒドール捕虜』 の新しい展示が公開されました。これらの資料は、アメリカ人捕虜が払った勇気ある犠牲を将来の世代に教えていくための教材として、利用されます。



エドワード・ジャックファート氏:捕虜資料展示の前で
 

日本からのニュース

8月2日から11日まで、英国の帝国戦争博物館(Imperial War Museum)主催、英国宝くじ協会資金提供「彼らの過去、私たちの未来:Their Past, Our Future」という戦後60周年記念プロジェクトにより、オックスフォード市の公立校チェイニー高校の生徒24名、教師4名、博物館スタッフ4名、宝くじ協会から1名の計33名が日本を訪れました。日本で強制労働中に命を落とした元捕虜たちが眠る保土ヶ谷英連邦墓地、靖国神社とその戦争博物館(游就館)、広島記念式典、平和祈念館、原爆資料館などを訪ね、被爆者の方の話しを聴き、最後は天龍村でホームステイを体験しました。真面目によく勉強してきた歴史選択者の生徒たちはまた、東京・横浜では70人、広島では約30人の日本人高校・大学生と交流、異なる歴史の見方も交換、核兵器、テロ、イラク派兵などについて意見を交わし、双方の認識、考え方を広げました。蒸し暑い日本の夏、慣れない食事などを互いの努力と熱意、好意でカバー。 大人たちによれば「信じられないほどの成果」を挙げました。東京・横浜プログラムに全面協力した捕虜問題研究会により、9月20日の締め切りで文集づくりの計画も進んでおり、楽しみです。
(伊吹由歌子)

 



 


8/7/05

ジョージ・フランシス氏の捕虜体験記追加 フランシス


7/10/05

カルロス R.モントヤ氏の捕虜体験記追加 モントヤ


7/2/05

日本からのニュース

はじめに、シンシナチのADBC年次会でみなさまからいただいた暖かい歓迎 に深く感謝をいたします。今回が最初の参加でしたが、目のさめるような素晴らしい学びのときとなりました。参加者おひとりずつとの出会いに力づけられ、日本軍の捕虜取り扱い問題について、実際の出会い、また出版により、日本の世論をますます喚起してゆきたいとこころを新たにしました。「POW研究会の他の会員も私同様、来年1月のヴェイラー・ツアーの参加者を日本にお迎えするのをとても楽しみにしております。みなさまの訪問が意義あるそして楽しいときとなりますよう、最善を尽くしますので、どうかふるってご参加ください。個々の訪日も勿論歓迎で、こころに残る滞在となる準備ができますよう、なるべく早くにご連絡いただきたいと思います。 
 (伊吹由歌子) 

追悼:長崎原爆で亡くなった英捕虜

広島の歴史研究家 森重昭氏は、POW研究会が作成した死亡捕虜リストなどによって長崎原爆により英国捕虜が一名死亡したことを知りました。彼はその遺族に知らせてあげたいと考えました。ロンドンのタイムズ紙が協力して3月31日、ロナルド・ショー伍長の記事を載せたところ、スコットランドに住む姉(94歳)の子息が名乗り出て、再度の記事となりました。6月23日付け東京新聞の記事によると、遺族は原爆死亡者名簿への記載や、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館への遺影登録を希望しており、森氏は6月24日に長崎で手続きを済ませ、さらにオランダ人の被爆死捕虜についても目下調査中とのことです。



東京新聞 6・23・05
 


6/20/05

エッセイ追加: ジョン A. グラスマン氏へのインタビュー
Conduct Under Fire: Four American Doctors and Their Fight for Life as Prisoners of the Japanese,1941−1945 著者 グラスマン


6/19/05

ロバート W. フィリップス 神父の捕虜体験記追加: フィリップス


6/12/05

エッセイ追加: 神直子 
若い世代の戦後60 ―「日本人」の私たちに何ができるのか


5/25/05

エッセイ追加 母の手紙


5/13/05

トム・ラントス下院議員(民主党:カリフォルニア州選出)夫妻訪問

5月9日、ハップ・ハロラン氏、ロジャー・マンセル氏と徳留絹枝は、トム・ラントス下院議員のカリフォルニア州サン・マテオ選挙区事務所を訪ねた。下院外交委員会の民主党主席委員であるラントス議員とアネット夫人は、共にホロコースト生還者で、長年人権問題に熱心に取り組んでいる。

ハロラン氏は自分の捕虜体験を語り、マンセル氏は「日本支配下の連合軍捕虜リサーチセンター」、徳留は「捕虜:日米の対話」のウエブサイトについて、それぞれ説明した。

ハップ・ハロラン捕虜体験記:     http://www.haphalloran.com/autobiography.asp
ロジャー・マンセル、リサーチサイト:
http://www.mansell.com/pow-index.html
「捕虜:日米の対話」:         
http://www.us-japandialogueonpows.org

アネット夫人は、太平洋戦線における第二次世界大戦の終結60周年を迎えるこの夏、日本軍の捕虜だったアメリカ人の勇気ある犠牲を称えるべきだと、提案した。
(徳留絹枝)

ハロラン氏、徳留、ラントス議員、アネット夫人、マンセル氏


/5/05

ラルフ・ホレウィンスキー氏の捕虜体験記追加: ホレウィンスキー


4/2/05

日本からのニュース POW研究会「豪日交流基金賞」受賞

オーストラリア政府の文化機関「豪日交流基金」よりPOW研究会に「豪日交流基金賞」が授与され、3月22日その授与式が豪大使館で行われました。この賞は2001年に開設され、様々な分野で豪日の交流に功績のあった個人、団体に授与 されます。

駐日大使のマレー・マクレーン氏や豪日交流基金のレオニー・ボクステル氏など多数の関係者が列席のもと、他の3組の受賞者と共にアレグサンダー・ダウナー外務大臣より笹本妙子共同代表、田村佳子、長沢のりの3人に賞状と記念品が授与されました。


Photo by Kerry Raftis keyshots.co


(伊吹由歌子)


3/19/05

「リンク」更新

「用語」更新

捕虜訴訟に関する論文

徳留絹枝と徳留梓による上記論文が、UCLA's Pacific Basin Law Journal に掲載されました。コピーをご希望の方は、admin@us-japandialogueonpows.org. までメールで申し込んで下さい。


3/13/05

エッセイ追加 
元捕虜ロバート(ボブ) ・ブラウン氏の奉天収容所跡地訪問


2/17/05

ジョン・ウィルソン氏の体験談追加 ウィルソン


1/23/05

ゴールズワーズィー氏の捕虜体験追加 ゴールズワーズィー

新しいセクション「エッセイ」を追加

日本からのニュース

このところP研の死亡者リストが次々と記事になっています。死亡者リスト作成の中心になった共同代表、笹本妙子さんが取材を受け、各紙で次のように語っています。「肉親が日本のどこでどんな原因で死亡したか知らない遺族も多い。私たちが惨禍を再び繰り返さないため、貴重な史料として公開に踏み切った。捕虜の置かれた状況を日本人に知ってほしいし、国内外の研究者には基礎データとして役立ててもらいたい」と趣旨を語っています。。共同通信の配信も受け、オーストラリア、英国からも取材があり、日本国内各紙は地域の捕虜収容所などもからめ独自のタイトルで記事にしています。

このリストは、国会図書館にあったGHQの資料、および、慰霊碑、体験記などから独自に調査した資料によってまとめられています。しかし、特に死亡原因については、まだまだ真実が隠されている可能性があります。読者のなかでご存知の方がたがありましたら、p研にご連絡くださるよう、P研メンバーは望んでいます 。   
 (伊吹由歌子)
 

1/8/05

連合軍捕虜の死亡者リストインターネット上に
当サイトにリンクする「POW研究会」はこのほど、日本国内で死亡した全捕虜のリストを完成させ収容所ごとに整理してHPにアップしました。終戦までに日本国内で約三千500人の捕虜が死亡した事実はあまり知られていません。終戦と同時に関係書類が日本軍によって焼却され、また日本政府がこの歴史事実を日本国民および関係各国の人びとに伝える努力を怠ってきたからです。研究会は捕虜に関する歴史を掘り起こす作業に取り組む一環としてこのリストを完成させました。詳しくは以下をどうぞ: http://homepage3.nifty.com/pow-j/j/list/
 
 
笹本妙子さんの捕虜の本、朝日紙上で推薦
もうひとつのニュースも、同POW研究会メンバーの著作についてです。代表者のひとり、笹本妙子さんは2004年8月、7年間の調査結果をまとめ「連合軍捕虜の墓碑銘」(草の根出版会)を出版しました。この本が12月26日の朝日新聞の書評で木下直之氏のあげる「今年の三冊」に入ったのです。「横浜の自宅近くになぜ英連邦戦死者墓地があるのかという、ある日ふとした疑問から出発し、連合軍捕虜が日本でどのように死んでいったのかを追跡した労作、」と、立花隆著「シベリア鎮魂歌」と併せての推薦に、笹本さんは「かたや連合軍捕虜、かたやシベリア抑留者を扱った本を併せて紹介していることに、選者の深慮を感じ、光栄」と話しています。実は笹本さんは死亡者リストの中心的推進者でもあるのです。
(伊吹由歌子)
 

1/1/05

ジェームス・マーフィー氏のページ更新



スチュワート・アイゼンスタット元財務副長官の、捕虜強制労働訴訟に関する徳留絹枝の質問への返答

貴方は、御著書の
Imperfect Justice の脚注で、「これらの訴訟は地裁において、私が止めることのできなかった米政府による介入が大きな原因となり、棄却された。」と書かれました。貴方は、米政府の捕虜訴訟への取り組み方に不満だったようです。その理由を説明して頂けますか。米政府はもっと違う取り組みをすべきだったと思われているのですか。貴方は、米国における対ドイツ奴隷・強制労働訴訟と対日本企業訴訟の間に、法的・政治的・道義的にどのような類似点があった、或いは無かったと思われますか。

私は、国務・司法省の弁護士の「日米条約が日本と日本国民に対する訴訟を禁じている」という法律論には同意していました。しかし、ドイツ企業に対する奴隷訴訟も、法的には弱いものだったのです。にも拘わらず、私たちはドイツ企業とドイツ政府に、道義的見地に立って奴隷・強制労働被害者の主張を認めるよう説得しました。私は、日本によって奴隷労働を強いられた米捕虜のために、米政府が同様な努力をして欲しいと思っていました。それが起こらなかったことに、失望しました。

捕虜の訴訟は全て棄却されましたが、被告日本企業そして日米両政府が、年老いた元捕虜のためにできること、すべきことが何かあるとお考えですか。原告として彼らは、訴訟で求めたものは金銭ではなく“責任”と“名誉”だと主張し続けたのですが…。

はい。日本政府は、歴史的道義的責任に基づいて、奴隷労働を強いられた捕虜たちに支払うための資金を、企業と共に提供すべきです。それは、日本が自らの歴史と米捕虜への虐待を認める用意があることを、証明することになるでしょう。


12/17/04


死の行進の生還者レスター・テニー氏、スミソニアン博物館で称えられる
スミソニアン米国歴史博物館では先月の退役軍人の日、アメリカがこれまで戦った多くの戦争で支払われた犠牲を称える展示がオープンしました。展示では、バターン死の行進と3年にわたる三井鉱山での強制労働から生還したレスター・テニー氏の捕虜体験も、紹介されています。


テニー氏:スミソニアン展示で


日本からのニュース:奉天収容所の親切な日本人

パメラ・ゴンザレスさんからのお便りに嬉しい発見がありました。パメラさんの亡き父上はコレヒドールで日本軍の捕虜となり、戦時中のほとんどを奉天収容所で過ごされました。たちの悪い看守もいるなかで、カイ ヨシオさんは大変親切だった、とよく彼のことを話されたそうです。父上が持ち帰られた東京世田谷の住所、手書き地図を添えてパメラさんが消息を尋ねていらしたのです。バイリンガル・HPを持つPOW研究会のメーリング・リストに中継したところ、その日のうちに応答がありました。満州にあった日本陸軍の細菌戦(731)部隊を長年調べているジャーナリストでテレビ・プロデューサー西里扶甬子さんからです。MKK社員で捕虜担当だったカイ ヨシオさんは二世で、2003年のクリスマス、96歳でカリフォルニア州サンホゼにお元気、と知らせてくださいました。昨年九月、審陽(旧奉天)で行われた58年ぶりの収容所関係者リユニオンで西里さんは、カイ ヨシオ氏の息子 Kenneth Kai 夫妻と会われたのでした。
(伊吹由歌子)