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04 、05年、06年のニュース 07年のニュース 08年のニュース 10年のニュース 12/19/09 「地獄船:記憶を繋ぐために」を掲載しました。 アメリカの著名な作家ジョン・グラスマン氏が、地獄船「鴨緑丸」「江の浦丸」「ブラジル丸」「阿里山丸」の日本人生還者を探しています。 12/7/09 12月7日の記憶 12月7日(日本時間 8日)は、日本軍が、真珠湾ばかりでなくフィリピンを攻撃した日でもあります。ADBCの元代表エドワード・ジャックファート氏のその日の記憶が、以下の記事 で紹介されました。 Memories of War: Veteran Recalls Strike by Japanese
ビデオクリップ: 母親からの手紙を読むハス氏 ADBC捕虜博物館 AP通信は12月7日、以下のように伝えました。 ウェルスバーグ、ウエストヴァージニア州 (AP) ブルック郡立図書館は、ウェルスバーグ分館を5億円かけて拡大し、第二次大戦中にフィリピンで捕虜となったアメリカ人に焦点を当てた博物館を建設 することを計画しています。 約280坪の増築部分には、図書館のコレクションである日本軍捕虜に関する10万点もの文書や関係品が所蔵されます。 コレクションは、ウェルスバーグ在住の元捕虜エド・ジャックファート氏が、図書館に関係品を寄贈してスタートしました。 郡立図書館ディレクターのマリーケイ・ウォレスさんは、建設には約250万ドル(約2億5千万円)かかると言っています。図書館は、施設維持のための基金としてさらに250万ドルを確保したいと希望しています。 マリーケイさんの夫で、捕虜次世代グループの季刊誌The Quanの編集長ジョージ・ウォレス氏は、地元の新聞で「6,400部の発行部数を持ち、全米そしてフィリピン日本に購読者がいるThe Quan が、資金援助の確保に役立つのではないか」と発言しています。
日本軍将校の回想記
熊井氏(92歳)は第2次大戦中1942年3月5日から、フィリピンのバターン半島攻略戦に、重砲小隊長として参戦しました。 「家族のため記した一日本兵の回想記を、同じ戦闘を戦ったを米比軍関係者に読んでいただけることに大変感謝をしている」と、熊井氏は語っています。 伊吹さんは「捕虜:日米の対話」の東京代表で、これまで捕虜問題の理解と対話のために、数多くのボランティアをしてきました。 ウエブサイト: バターン戦記
11/26/09
「捕虜:日米の対話」が6年目に入ります。 設立6年目のご挨拶を掲載しました。 捕虜データベースについて 第二次大戦中ドイツに捕われた70万人のソ連人捕虜に関するデータベースが、インターネット上に公開されました。日本軍のアメリカ人捕虜に関するデータベースがインターネットに公開される可能性はあるのでしょうか。 捕虜データベース、をご覧下さい。 11/11/09 レスター・テニー博士のエッセイ、”退役軍人ってどんな人?”を掲載しました。 退役 兵士の日エッセイで、ご覧下さい。
10/12/09 US-Japan Dialogue on POWs 代表の徳留絹枝は10月8日、マイク・ホンダ下院議員(民主党-カリフォルニア州選出)を、ワシントンに訪ねました。ホンダ議員は、長年にわたって捕虜問題を支援してきています。 ホンダ議員は改めて、元日本軍捕虜アメリカ兵に真の正義がもたらされることへの支持を、表明しました。
10/1/09
ADBC(バターン・コレヒドール防衛兵の会)博物館の建設計画に関する報告を、掲載しました。 ADBC博物館
9/1/09 捕虜だった父親とその息子の共著
『兵士が
8/21/09
「POW 研究会」共同代表の福林徹氏が
『世界
』
2009年6月号に発表した「史実検証
麻生鉱業の消せない過去(下)~資料が裏付ける捕虜使役の事実」の英語版が、ウィリアム・アンダーウッド氏による翻訳で、Japan
Focus に掲載されました。
8/9/09 次期駐日アメリカ大使、捕虜問題に取り組むことを表明 次期駐日アメリカ大使のジョン・ルース氏は、上院外交委員会議長ジョン・ケリー議員が提出した文書質問への回答で、捕虜問題に積極的に取り組んでいくことを表明しました。 8/7/09
全米バターン・コレヒドール防衛兵の会(ADBC) の最後の会長だったレスター・テニー博士の捕虜体験記 My Hitch in Hell (邦題 『バターン:遠い道のりのさきに』 梨の木舎)が、中国語に翻訳され、中国の著名な出版社 World Knowledge Press 社から出版されました。 中国語版の前書きの中で、テニー博士は以下のように書いています。 私たちの法的戦いは、決してお金に関するものではありませんでした。それは名誉と尊厳と責任に関するものでした。私たち元捕虜は、偉大な日本の国がそうであるように、名誉と尊厳を回復したいのです。しかし同時に私たちは、私たちの人間としての権利を侵害した者たちに、彼らの責任を受け入れて欲しいのです。 正義は、どれだけ多くの者が異論を唱えようと、いつも正しいのです。そして不正は、いかなる議論でそれを正当化しようと、いつでも不正なのです。それが、為された不正に対する責任の問題について、私たち元日本軍捕虜が取ってきた立場です。
6/27/09
米下院 「アジア太平洋・地球環境小委員会」のエニ・ファレオマバエガ委員長は、6月25日に開かれた公聴会 「Japan’s Changing Role」の冒頭演説で、最近の藤崎一郎大使の捕虜への謝罪を、「歓迎すべき展開」と表現しました。 公聴会ビデオ (謝罪に関する委員長の発言は8:00 to 8:50 )
6/25/09
6月22日付けの毎日新聞は、米国サンアントニオで開かれた元捕虜の会での藤崎一郎駐米大使の言葉を伝える記事を、掲載しました。 「日本政府の立場をお伝えしたい。バターン半島と(米軍司令部のあった)コレヒドール島、その他の場所で、悲惨な経験をされた元戦争捕虜を含む多くの人々に、多大な損害と苦痛を与えたことを心から謝罪します。日本招待にも取り組みます」。
藤崎大使とテニー会長 6/19/09 麻生鉱山で強制労働を課された元捕虜来日、謝罪を求める 麻生太郎首相の家族が所有していた炭鉱で強制労働に就かされていたオーストラリア人元捕虜ジョセフ・クームズさん(88)が来日しました。息子さん2人と、やはり麻生炭鉱で働かされていた英国人元捕虜(故人)の息子ジェームス・マクアナルティさんが同行しました。彼らは麻生首相からの謝罪を得たいと面談を求めましたが、実現しませんでした。 彼らの訪問は国内外のメディアで大きく報道されました。以下はその一部です。
共同、元捕虜「麻生首相は謝罪して」
6/15/09
「Tears
In the Darkness(暗涙)」のオフィシャルサイトから 「Tears In the Darkness」はその歴史を、何千ものソースと何百人ものインタビューを注意深く織り込みながら描き、その劇的な日々とそれを生きたアメリカ人、日本人、フィリピン人を再現した綿密な物語です。
この強烈な主人公に加えて、「Tears In the Darkness」が際立っているのは、他の視点をも提供しているからです。本の三分の一は、日本帝国軍の歩兵だった人々の物語を、日本人側からの視点で語ったものです。私たちはまた、「死の行進」の責任を取らせられ、米軍によって1946年に処刑された本間雅晴中将の個人的な日記や手紙も、入手することができました。 Michael and Elizabeth Norman *ニューヨークタイムズ関連記事: Revisiting Wartime: 66 Miles of Cruelty
*当ウエブサイト内の関連ページ:
http://www.us-japandialogueonpows.org/Steele-J.htm
訪日した元捕虜から学ぶ 最近日本を訪れた元捕虜レイモンド・ハイムバック氏が戦時中強制労働に就かされていた(後継)会社で会った人々からの手紙を、US-Japan Dialogue on POWs 東京代表の伊吹由歌子さんが紹介しています。ヘイムブッチさんのページの終わりの部分をご覧下さい。
6/11/09 捕虜問題小委員会発足 民主党は5月20日、連合国捕虜問題と取り組む小委員会を、民主党戦後処理プロジェクト・チームの中に発足させました。詳細は、「捕虜問題小委員会」をご覧下さい。 6/9/09 伊吹由歌子のエッセイ「元米捕虜 レイモンド・C・ハイムバック氏の日本再訪」を掲載 6/2/09 日本大使が元捕虜の会(ADBC)最後の総会に出席
藤崎大使は、ADBC代表で「バターン死の行進」と三井炭鉱での強制労働の生還者であるレスター・テニー博士からの招待を受けて、総会に出席しました。
5/26/09 フィリピン・スカウト歴史協会の総会 2009年5月8日と9日、カリフォルニア州ロングビーチ市で、第25回フィリピン・スカウト歴史協会の総会が開かれました。会は、Living History Company of the Alexander Nininger 支部の主催で開かれました。(支部の詳細) YouTube 総会の様子 http://www.youtube.com/watch?v=5xMC0CmOyi0 会のハイライトは、晩餐会でのアントニオ・タグバ少将による基調演説でした。彼は、戦場におけるそして捕らえた者の扱いに関する米兵の責任と義務について、力強く語りました。彼はさらに、彼が担当したイラクのアブグレイブ刑務所スキャンダルに関する調査について、言及しました。 タグバ少将の父親は、日本軍捕虜として「バターン死の行進」を歩きました。
テニー博士のエッセイが議会議事録に掲載される 全米元日本軍捕虜の会(ADBC)代表のレスター・テニー博士のエッセイ「The end of the Long march」が、連邦議会議事録に掲載されました。それは、ブライアン・ビルブレイ下院議員(共和党:カリフォルニア選出)の、メモリアルデーのメッセージとして掲載されました。
4/20/09 麻生鉱業の『消せない過去』
月刊 『世界』 5月号に藤田幸久参議院議員が発表した上記の記事の英訳が、Japan
Focus
に掲載されました。
Aso Mining’s Indelible Past
をご覧下さい。 4/16/09 エッセイ2編を掲載しました。 『ゲリラの娘』著者ヴァージニア・ハンセン・ホームズ 氏へのインタビュー
太平洋戦争の後64年 スビックとコレヒドールの二日間 伊吹由歌子 4/14/09
レスター・テニー博士の意見記事がJapan
Times
に掲載されました。 4/3/09 日本が保有する捕虜の記録に関する議会証言
テニー博士は、日本政府が今でも旧日本軍捕虜に関する重要な記録を、未公開のまま保有していると、証言しました。
エッセイ 「フィリップ・ガルシア氏とのインタビュー」を掲載しました。 ガルシア氏はフィリピン・スカウト歴史協会のロサンゼルス支部長とPhilippine Scouts Living History Company の代表を務めています。Philippine Scouts Living History Company は、スカウトが戦った戦闘を再現するグループです。
The
Philippine Scouts Living History
Company 3/18/09 「バターン死の行進」生還者と彼らの正義への戦いを描いたドキュメンタリー
公文書館に保存された悲惨な写真やフィルムと、4人の生還者の切々とした証言で綴ったこのドキュメンタリーは、「バターン死の行進」とその後の捕虜体験が将来の世代から忘れ去られないことを求めた、彼らの戦いを描きます。 パーキンソン氏はこれまでアメリカ中の多くの学校を訪問し、何千人もの生徒に、彼らの真の英雄と模範になるべきこれらの捕虜の物語を、語ってきました。 ドキュメンタリーの中で捕虜体験を語る「バターン死の行進」生還者たち
彼らの本当の関心は金銭などではなかったのです。彼らが望んだのは、酷い取り扱いを受けたという事実が認められること、そして(日本)企業が、自分たち がしたことは本当に間違っていた、と認めることでした。
― 捕虜強制労働訴訟に関する公聴会を開いた
「The
Inheritance of War」は4月11日、ラスベガス映画祭で上映されます。
元民間人捕虜 アンガス・ロレンゼン氏の体験記を掲載
彼は、マニラのサント・トーマス民間人収容所に3年間収容されました。 3/10/09 麻生首相の捕虜への謝罪
麻生首相は先ず、先の大戦に係る賠償並びに財産及び請求権の問題は、サンフランシスコ平和条約及びその他
関連する条約等に従って誠実に対応してきたところであり、これらの条約等の当事国との間では、個人の請求権の問題も含め、法的に解決済みであるとする、日本の立場を述べました。 さらに続けて、麻生首相は以下のように発言しました。 我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、元捕虜を含め、旧連合国諸国を含む多くの国々の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたとの歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを、平成7年及び17年の内閣総理大臣談話を始めとして、これまで様々な機会に一貫して表明をしてきたところだと、理解を致しております。
麻生首相は、外務省がこれまでオーストラリアだけでなく他の国の元捕虜も日本に招待してきたことに触れ、藤田議員の提案を、その事業の一環として検討することは可能であると答えました。但し、
旧麻生鉱業で働いた元捕虜を特別扱いにすることはできないと付け加えました。 2/19/09
元日本軍捕虜米兵の会(American Defenders of Bataan and Corregidor)の会長レスター・テニー博士は、オバマ大統領に宛てて、麻生太郎首相が捕虜問題を解決するよう要請して欲しいと依頼する手紙を、書きました。 麻生首相は2月24日にワシントンを訪問し、オバマ大統領と会談する予定です。 レスター・テニー博士のオバマ大統領への手紙 をご覧下さい。 (from website of the White House) 2/16/09 元日本軍民間人捕虜の年次総会 2月13日から15日まで、カリフォルニア州フリーモントで、元日本軍民間人捕虜の総会が開かれました。フィリピンのサント・トマス、ロス・バニュス、バギオ・ビリビッドなどの収容所で子供時代を過ごした人々が参加しました。会長のアンガス・ロレンゾ氏が基調演説をし、副会長のサーシャ・ジェンセンさんの娘ポーラさんが、次世代の会の 今後の活動について説明しました。 第二次大戦中、約14,000人の民間アメリカ人が、日本軍により主にフィリピンで収容され ました。その多くは子供でした。約1,500人が飢餓、病気、処刑で死亡しました。
ミンディ・カトラー氏は、アジアの安全保障を研究する在ワシントンの研究センター「アジア・ポリシー・ポイント」の所長です。2008年5月には、ADBC 会長レスター・テニー博士の日本訪問に関して、ニューヨーク・タイムズとインターナショナル・ヘラルド・トリビューンに意見記事 「謝罪への長い旅」を書きました。 A Long March to an Apology
「戦中の連合国捕虜使役に関する質問主意書」と政府答弁書 藤田幸久参院議員が1月29日に提出した上記質問に対する政府答弁書が2月6日に出されました。各質問とそれへの答弁は、藤田議員のホームページで読めます。 藤田議員の質問は、麻生太郎首相の家族が所有していた旧麻生鉱業での捕虜労働に焦点をあてたものでした。 政府は答弁の中で、「捕虜の労働自体は、当時の国際法においても認められていた。」と書いています。 藤田議員が2月6日に開いた記者会見の様子は、広く海外で報道されました。
Lawmaker demands Japan PM apologize over POW labor
Aso Mining POWs seek redress
今回の政府答弁書から、アメリカの元捕虜と家族が引き続き日本政府の「平和友好交流計画」から除外されていることが、分かりました。藤田議員は2月9日、再質問主意書を提出し、その中で、アメリカの元捕虜と家族が除外されている理由を質しています。政府答弁書は、ヒラリー・クリントン国務長官の訪日2日目にあたる2月17日に、出される予定です。
麻生鉱業で働かされたオーストラリア人捕虜 (解放直後) (PHOTO COURTESY OF TONY GRIFFITH AND YUKIHISA FUJITA) 2/5/09
元日本軍捕虜米兵の会(American Defenders of Bataan and Corregidor)の会長レスター・テニー博士は、近く日本を訪問するヒラリー・クリントン国務長官に手紙を書きました。 テニー博士は、1995年にビル・クリントン大統領から受け取っていた手紙も添付しました。 国務長官への手紙をご覧下さい。 (from the website of State Department)1/29/09 麻生首相家族所有の炭鉱での連合軍捕虜強制労働に関する記事
1. "日本は国際社会の流れに従い第二次大戦時の強制労働の歴史に向き合うべし" マイケル・ベイズラー (日本語訳)2. ニューヨーク日本総領事館のウエブサイトに2006年に掲載され2008年に削除された、戦時強制労働に関する記事3. 麻生鉱業に関する国会答弁の議事録英訳 Bazyler article at Japan Focus でご覧下さい。 1/8/09
元日本軍捕虜米兵の会「ADBC」会長のレスター・テニー博士は、麻生太郎首相が、彼の家族が所有していた炭鉱が連合軍捕虜に強制労働を課していたことを認めた事を受け、プレスリリースを発表しました。
元捕虜米兵から麻生首相へのメッセージをご覧下さい。 1/3/09
エッセイ「バターンで日本兵に拾われた米兵のアルバム」を掲載しました。
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