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12/26/08 エドウィン・ラムジー中佐の体験記を掲載しました。
ラムジー中尉はバターンから脱出し、その後、ルソン島の4万人以上のゲリラを指揮しました。 12/19/08 捕虜の子供で作る「捕虜次世代の会」の案内を掲載しました。捕虜次世代の会 12/18/08 麻生 首相親族の炭鉱に捕虜
藤田議員はさらに、先日藤崎一郎駐米大使と面談した元日本軍捕虜米兵の会(American Defenders of Bataan and Corregidor)会長のレスター・テニー氏が、日本政府の捕虜訪問プログラムに、これまで除外されてきた米元捕虜とその家族も含めて欲しいと要請したことに、前向きに応える用意があるか外務大臣に質問しました。外務大臣は「慎重に検討していく考えである」と答えました。 藤田議員は、日本が国際社会で信頼を受けるためにも、捕虜問題に取り組むことは、日本の外交にとってよいことであると、発言しました。
関連記事:
Japan
Admits POW Labor at Aso Mine 12/7/08 真珠湾攻撃67周年 オバマ次期大統領は、12月7日のスピーチで以下のように発言しました。 今日から70年近く前の「屈辱として記憶される日」、我々のハワイの湾は爆撃され、我々の部隊は戦場へと向かった。そしてその戦争が終結し、我々が狂人から大陸を取りもどし、太平洋にあった脅威を打ち負かした後、それらの兵士は、彼らへの感謝で溢れる母国に還ってきた。その祖国は、GIビルと、戦場で彼らがそのために戦い、そして多くがそのために死んだ夢を平和な社会で実現する機会を、彼らに与えた。我々は自国の偉大な第二次大戦世代に敬意を表するとき、言葉だけでなく行動をもって、我々の帰還兵全てを称えなければならない。 関連するテーマで、 『ファーイースタン・エコノミック・レビュー』は、日本の強制労働の歴史を専門とする独立学者ウィリアム・アンダーウッド博士とアジアの安全保障を研究するワシントンベースの「アジア・ポリシー・ポイント」ディレクターのミンディ・カトラー氏による記事を、掲載しました。オリジナルは Corporate Japan's War Stories で日本語訳は日本企業の戦争物語で読めます。11/21/08 ADBC会長、退役軍人の日式典に参加
11月11日の米国退役軍人の日、元日本軍捕虜の会(ADBC)会長のレスター・テニー博士は、アーリントン国立墓地の無名戦士の墓に花輪を供えました。
式典で挨拶するチェイニー副大統領 ADBCを代表して花輪を供えるテニー博士 日本大使を訪問
式典が終わった後テニー博士は、藤崎一郎駐米大使を大使公邸に訪ねました。テニー博士は、日本軍の捕虜になった米兵の歴史に名誉ある最終章をもたらすため、日本の人々と一緒に活動したいという願いを、改めて伝えました。
またその日 の朝には、ワシントン ・ポスト紙がテニー博士に関する記事「The Long March of Time」を掲載しました。 Washington post article on Dr Tenney10/29/08 三編の新しいエッセイを掲載しました。
寺内良雄氏を偲んで
マーティン・クリスティ海兵隊大尉の思い出
ボブ・ブラウンの思い出
鶴亀彰氏のエッセイ「父喪失が生んだ友情」を掲載しました。
9/30/08 捕虜補償法案 、上院を通過せず捕虜補償法案(S.3107)の共同提出者ジェフ・ビンガマン上院議員とオーリン・ハッチ上院議員は、彼らの法案を、上院防衛予算法案の修正条項として加えようとしました。9月17日、党派間でぶつかり合いがあった後、100あまりの修正条項が入ったパッケージを上院は認めませんでした。捕虜補償修正条項は、その中の一つでした。 票決の前の週、元日本軍捕虜の会(ADBC)の会長レスター・テニー氏と財務のエドワード・ジャックファート氏は、法案への支援を訴えるためワシントンを訪れました。今回は手続き上の困難があり法案は通りませんでしたが、有力議員が支持を表明しました。彼らのある者は、次の会期でこの問題に取り組む用意があると発言しました。
![]() カリフォルニア州選出のバーバラ・ボクサー上院議員と
ボブ・フィルナー下院退役軍人委員会委員長と
9/24/08 麻生首相と戦時捕虜強制労働の関連に関する記事
『週刊現代』10月4日号は、麻生首相の父親が所有していた炭鉱での捕虜強制労働に関する記事を、掲載しました。記事の英訳は、米政府関係者や研究者の間で既に回覧されています。 記事の全文と英訳
麻生炭鉱での捕虜強制労働に関する詳細は、ウイリアム・アンダーウッド氏の記事 "Proof of POW Forced Labor for Japan’s Foreign Minister: The Aso Mines, をご覧下さい。 9/8/08
ラルフ・レヴェンバーグ氏インタビューを掲載しました。 9/6/08 元日本軍民間人捕虜の会 9月6日、南カリフォルニアに住む元日本軍民間人捕虜がトーランスで昼食会を開きました。全米元民間人捕虜団体(BACEPOW)の代表であるアンガス・ロレンゼン氏の司会で、彼らの戦時中の体験をいかにして多くの人々に伝えていくかが、話し合われました。 米政府の記録によれば、第二次大戦中約14,000人の民間人が、主にフィリピンや中国で日本軍により収容され、うち約1,500人が病や飢餓そして処刑で命を落としました。民間人捕虜の多くは子供たちでしたが、彼らは今でも鮮明に収容所での体験を覚えています。
9/5/08
レスター・テニー博士、TVで、捕虜補償法案の成立をアピール
番組の中で、米下院退役軍人委員会のビル・フリナー委員長は次のように発言して、支援を表明しました。 これは道義上必要であり、歴史的にも米国にとって必要なことだ。我々は全世界の歴史で最も豊かな国だ。もちろん、これらの捕虜に感謝を述べるための資金はある。 テニー博士は以下のように述べました。 これが最後です。私たちがこれまで何年もしてきたことは正しかったと認める補償を得られるか、それとも私たちがこれで諦めなければならないのか、どちらかです。
このニュースは以下のサイトで見れます。 8/22/08 伊吹由歌子の書籍紹介:「原爆で死んだ米兵秘史」森重昭著を、掲載しました。 8/15/08
エッセイ「捕虜補償法案:日本にとっての意味」を掲載しました。 8/8/08 捕虜追悼礼拝 8月2日、日本の市民グループが、第二次大戦中に日本で亡くなった捕虜のため、第14回追悼礼拝を横浜の英連邦戦死者墓地で行ないました。この墓地には、1,700人あまりの英連邦国捕虜が埋葬されています。 墓地内の追悼ホールの壁には、地獄船で門司に到着した後亡くなった48人のアメリカ人捕虜の名前も刻まれています。 追悼礼拝には、英連邦国の大使館職員も含めて、100人以上が参加しました。
詳細は 、伊吹由歌子の報告をご覧下さい。
8/1/08 7月21日、元捕虜で当ウエブサイトの役員の一人であるドン・ヴァーソー氏が、米国公共テレビPBSの「 History Detectives "歴史探偵"」に出演しました。
その日の話題は、戦前の上海に駐留した米第四海兵隊の誰かが所有していたジャケットについてでした。ドンは、第四海兵隊のバンドでフレンチ・ホルンを担当していました。番組では、彼の捕虜体験も紹介されました。詳細はHistory
Detective story
「歴史探偵」に出演するドン 戦前の上海時代のドン(1941) ドン・ヴァーソー氏の捕虜体験記はこちら
捕虜補償法案が米上下両院に提出される 第二次大戦中に日本帝国政府あるいは日本企業に奴隷労働を強要された米国の軍人と民間人雇用者、あるいは生存する配偶者への2万ドルの補償の支払いを求める。 法案の全文は
Thomas
でS.
3107 か H.R. 6497とタイプして、読めます。
日本語訳
「神戸港平和の碑」が建立される 神戸の市民団体「神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会」は、市民に募金活動を呼びかけ、第二次大戦中、日本政府と企業によって神戸港に連行され、強制労働で亡くなった朝鮮人、中国人、連合軍捕虜を慰霊する「神戸港平和の碑」を建立する活動を進めて来ましたが、7月21日(月)に完成し、除幕式を開きました。
詳細は、福林徹氏の報告をご覧下さい。「神戸港平和の碑」
アメリカ人の父と日本人の母を持つライリー氏 は、第二次大戦中マニラのサント・トーマス民間人収容所に入れられました。ウォルター・ライリーの物語
全米元日本軍捕虜の会(ADBC)会長、レスター・テニー博士のプレス・リリース
"JAPAN
MISSES OPPORTUNITY TO HEAL WARTIME WOUNDS"
7/14/08
花輪収容所跡地を訪問したジム・ネルソン氏の
6/27/08 6/21/08 レスター・テニー博士の日本訪問
レスター・テニー博士の日本訪問をご覧下さい。
著名な従軍記者、アイリス・チャン氏の「バターン死の行進」本を引き継ぐ
ギャロウェイ氏は、We were Soldiers Once...And Young の著者で、現在はMcClatchy Newspapers のコラムニストです。(彼の最近のコラムは、アブグレイブ刑務所での虐待の実態調査を指揮したトニー・タグバ将軍に関するものでした 。http://www.mcclatchydc.com/101 ちなみに、タグバ将軍の父親は、バターン死の行進中に逃亡し、ゲリラ兵になった人物です。)
本の内容は、第192戦車大隊に関するものです。、同大隊のB中隊に所属していたレスター・テニー博士 (現ADBC会長)は、チャン氏から4回のインタビューを受けていました。 ギャロウェイ氏によれば、本の出版は数年後になるとのことです。 6/16/08
元日本軍捕虜の会代表、参議院議長を訪問 会談の様子は、ビデオでご覧下さい。
テニー博士は、日本政府が実施してきた招待プログラムに、アメリカ人元捕虜とその家族も加えて欲しいという、ADBCの要請を、江田議長に伝えました。”過去に関する誠意あるそして正直な評価を促し、相互理解を推進する”ことを目的に、毎年40-50人のイギリス・オランダ人元捕虜とその家族を日本に招待するプロ
グラムから、アメリカ人元捕虜と家族はこれまで除外されてきました。
国会議員との面会の他に、テニー博士は大学や市民活動グループの集会で講演しました。
また、元シベリア抑留者のグループとも交流しました。
テニー博士訪日に関してニューヨーク・タイムズ紙に掲載された意見記事 (含日本語訳):
ネルソンさんは、「本当に人生を変えるような体験だった。父に近づけた」と語り、駒井さんは「戦争の悲劇の影響を受けるのは、私たちが最後になって欲しい」と語りました。
ネルソンさんの花輪訪問を伝える河北新報記事
駒井さんは、父のことを思う―「戦犯の子」として生きた私の戦後 を書いています。 駒井修氏、徳留絹枝、ジム・ネルソン氏 5/26/08 Philippine Scouts Heritage Society 年次総会5月23-24日、Philippine Scouts Heritage Society の年次総会がカリフォルニアのバーリンゲームで開かれました。
フィリピン・スカウトは、マッカーサー将軍の下で戦った兵士たちです。第二次大戦の最初の戦いを戦ったフィリピン部隊の一部で、おそらく開戦当時、米陸軍の中で最もよく訓練され応戦準備のできていた部隊でした。彼らのほとんどは米陸軍に志願したフィリピン兵で、アメリカ人将校に指揮されていました。
5/22/08 2008年度ADBC (元日本軍捕虜の会)の写真集掲載
5/19/08 以下 のYoutubeで、「バターン生還者レスター・テニーの慰問箱プロジェクト」をご覧下さい。http://www.youtube.com/watch?v=Diah0uKEFRg (courtesy of 10 News) テニー氏の捕虜体験も紹介されています。 4/28/08 全米バターン・コレヒドール防衛兵(捕虜)歴史博物館に関するニュース掲載
4/22/08
グレン・フレージャー氏の捕虜体験記を追加 4/13/08
3月30日、ニューメキシコ州ホワイト・サンズで開かれたこのイベントに、4,400人以上が参加しました。彼らは、第二次大戦緒戦で、フィリピンの防衛にあたった兵士たちを称えるため、42キロの本コースか25キロの名誉コースを走り、或いは歩きました。 http://www.youtube.com/watch?v=OqRAp9m3R8U に昨年の動画があります。 アンソニー・ゼンデヤス君が「民主主義の声」エッセイコンテストで2位 受賞エッセイ:米退役軍人を敬う僕の役割:真に犠牲的行為の現実を描く
4/8/08 "The Bataan Death March and the 66-Year Struggle for Justice" がオンラインジャーナル「Japan Focus」に掲載されました。 http://japanfocus.org/-Kinue-TOKUDOME/2714
3/26/08 日本人学生のエッセイ掲載
5月に開かれる元捕虜の大会に参加予定の石丸賀久さんのエッセイを掲載しました。 3/15/0 8
セシリーさんの家族は、ミンダナオの民間人捕虜収容所、そしてマニラのサント・トーマス収容所に入れられました。 セシリーさんは最近 「 Happy Life Blues: A Memoir of Survival」 という回想録を出版しました。その抜粋とメッセージを掲載しました。日本兵のお友だち Ruth Broaddus Chastain さんから写真と依頼が、当ウエブサイトに送られてきました。
私は1940年12月、7人兄妹の末っ子としてフィリピンのマニラで生まれました。日本軍が1942年にマニラを占領したとき、1人の日本兵が私の家族と親しくなりました。彼は私の母に、自分にも母国に私と同じ年の娘がいるのだと、話しました。戦地に離れているので、まだその娘さんを見ていないということでした。彼は、食糧 の入手が困難になると、私たちに食べ物を運んできてくれました。持ってきてくれたお餅に因んで、私たちは彼を「プルート」と呼びました。おもちゃも持ってきてくれました。彼は、私たち家族がサント・トーマス収容所に 入るとき、荷物を運ぶのを手伝ってくれました。 彼 が誰だったのか知りたいと思います。そしてもし可能であるなら、私と同年だというお嬢さんに連絡したいものです。US-Japan Dialogue on POWs の東京代表、伊吹由歌子の返答: この写真と説明をお送り下さり、ありがとうございました。フィリピンでは50万人以上の日本兵が死んでおり、生還者はごく僅かでした。それで、この兵士についての情報を見つけるのはかなり難しいと思います。でもお役に立てるよう、全力を尽くしてみます。 2/28/08
吉田文夫氏から、善通寺捕虜収容所で働いておられた父親、吉田茂陸軍中尉が保管していた写真が寄せられました。 父親が善通寺に収容されたシャーレーン・スザンナ・ヘルマーズ・グロスさんとケヴィン・メンジス氏からの手紙も、掲載しました。 善通寺捕虜収容所写真集をご覧下さい。 2/23/08
サーシャ・ウェインツハイマー・ジェンセンが、US-Japan Dialogue on POWs, Inc. のアドバイザーになりました。日本軍の捕虜だった人々の歴史に理解と対話を促進する努力を、支援して頂きます。 アドバイザー 2/16/08 ”を掲載会は、最近アメリカの公共テレビPBSで放映されたドキュメンタリー「戦争」で、マニラにあったサント・トーマス民間人捕虜収容所で過ごした子供時代の思い出が紹介された、サーシャ・ウェインツハイマー・ジェンセンさんが、計画して開かれました。
サント・トーマス収容所が開放されて63周年の2月3日に、カリフォルニア州フリモント市で開かれた集会には、全米から200人あまりの元民間人捕虜が参加しました。 2/1/08 小林晧志 氏のエッセイ ”善通寺捕虜収容所” が掲載されました。
1/15/08 シーファー大使との面談 カリフォルニア州ラホヤで開かれた日米協会の昼食会で講演したシーファー駐日米国大使は、会の後、US-Japan Dialogue on POWs, Inc の役員に面談の機会を下さいました。
「 過去は未来を映し出す鏡です。そして過去の過ちを否定するなら、日本は二流国家になってしまうでしょう。捕虜に対して為された残虐行為に、きっぱりと最終的な意義ある謝罪を受け取るため、私たちは福田総理との面会を求めます。」
テニー博士は今年、元日本軍捕虜の会である
American Defenders of Bataan and Corregidor の最後の会長となります。
エッセイ ”「捕虜:日米の対話」 4年目を迎えて”を掲載しました。シーファー大使に福田総理との面談を依頼するテニー博士の手紙 を掲載しました。
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