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最初に
今は亡きデュエイン・ハイジンガー退役海軍大佐は、私に下さった最初の手紙で、「自分と同じように第二次大戦で父親を亡くした日本人を紹介して貰えないだろうか」と尋ねました。
「彼らにどうしても、語りかけてみたい。」と彼は書いていたのです。
日本軍の捕虜として死んだ父親を探す旅路について書いたFather
Found という本を出版したデュエインは、自分と同じ境遇の人々を進んで助けようとしました。
父親を知らずに育つこと、そして後に父親が如何に悲劇的な死を遂げたかを知ることは、どれほど深く悲しいことでしょう。デュエインの対処の仕方は、他の人々を助けること、より多くの人々に手を差し伸べ、語りかけることでした。そして彼は、父親の死をもたらした国の人々にも語りかけようとしたのです。
私はそんな彼が、生きて還らなかった捕虜の子供たちを、資料を共有したり、リサーチを手伝ったり、時には心の支えとなって助けるのを見ました。デュエインは多くの人々に語りかけ、それぞれの人生に影響を与えたのです。
以下のストーリーは、私がデュエインに紹介したある日本人の素晴らしい体験談です。それは、手を差し伸べようと努力するなら、過去に正直であるなら、そしてお互いの思いを理解しようとするなら、私たちがどれだけのことを成し遂げられるかを、示しています。私たちは、悲しい歴史からでさえ友情を見つけることができるのです。
--徳留絹枝
父喪失が生んだ友情
鶴亀彰
デュエイン・ハイジンガーは彼が十四歳の時に父を喪った。彼の父、ローレンス・ハイジンガーはフィリピン在住の米国軍事法廷弁護士だったがコレヒドール敗退と共に日本軍の捕虜となった。彼は一九四五年一月十二日、台湾の高雄港に停泊中だった悪名高い「地獄船」の一つである江之浦丸の船上で命を終えた。

デュエイン(右端)が父親と撮った最後の写真
鶴亀彰は彼が三歳の時に父を喪った。彼の父、鶴亀鶴一は日本帝国海軍の伊号潜水艦第百六十六号の機関長だった。同潜水艦は一九四四年七月十七日、マラッカ海峡で英国海軍の潜水艦テレマカスの雷撃を受けて沈没した。彼は八十七名の戦友と共に戦死した。
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両親・姉と鶴亀氏
カチャ・ボーンストラの父親は彼女が生まれる七ヶ月前に戦死した。彼女の父親、ウィレム・ブロムはオランダ王立海軍の潜水艦K-16の機関士官だった。同潜水艦は一九四一年十二月二十五日、ボルネオ海域で鶴亀彰の父親が乗っていた伊号潜水艦第百六十六号により撃沈された。新婚三ヶ月だった彼は三十五名の戦友と共に戦死した。

カチャと母親、会うことのなかった父
ヘンク・ビュッセマーカーは彼が十三歳の時に父を喪った。彼の父、エイ・ジェィ・ビュッセマーカーはオランダ王立海軍の潜水艦O-16の艦長だった。
同潜水艦は一九四一年十二月十五日、南シナ海で日本軍が設置した機雷に触れ沈んだ。彼は四十名の戦友と共に戦死した。ヘンクはインドネシヤのジャバの日本軍収容所で三年半を過ごした。

二〇〇三年九月、デュエインは共通の友人である徳留絹枝を通じて彰と知り合った。デュエインは彼の父親の死の経緯を丹念に調べ上げ執筆した「父発見」と言う題名の本を彰に送った。その副題は「第二次世界大戦におけるある日本軍捕虜の生と死」であったが、デュエインは彰も喪った父に関する調査を続けていることを知っていた。彼はその本に「親愛なる彰、第二次世界大戦による父喪失を基に繋がることを願い、貴方と私が共通の絆を分かち合い、友情が築けますよう祈ります」と署名した。
* Father Found
の詳細はhttp://www.fatherfound.com/
二〇〇三年十月、彰はついに伊号潜水艦第百六十六号の正確な沈没海域を特定した。彼と彼の妻ケイは同海域を訪れ、父と戦友達に一茎の赤いブーゲンビリアの花を捧げた。

その後、二〇〇三年十一月、同夫妻はオランダのデンヘルダー市を訪れ、オランダ王立海軍基地の中に立つK-16の慰霊碑を訪問した。彰は父の元敵に対して献花した。
カチャは彰夫妻の慰霊碑訪問をオランダ海軍より聞き、夫妻を自宅に招いた。彼女の家の居間のピアノの上に飾られていた彼女の父親の写真を見た瞬間、彰は胸が一杯になり涙が溢れた。それを見てカチャも慟哭した。父喪失の悲しみが彰とカチャを瞬時に結び付けた。彼女も父の潜水艦探索を続けていた。彰はカチャをデュエインに紹介し、父を喪った子供たち三人は良き友達となった。

カチャと鶴亀氏

二〇〇四年二月、デュエインはロサンゼルス郊外に住む彰を訪ね、彰の家族と共に二泊三日を過ごした。彼らはデュエインの父喪失前後の生活や米国海軍士官として駐在した日本での生活、彰の米国移民前後の生活など、お互いの多くの物語を伝え合った。その後、デュエインはフィリピンに建立予定の元日本軍捕虜達を偲ぶ追悼記念碑の鍬入れ式に参加するため弟と共に旅立った。
デュエインと鶴亀氏
二〇〇四年五月、彰はテレマカスのウィリアム・キング艦長が今も健在でアイルランドに住んでいる事を発見した。彼は家族と共にアイルランドのゴールウェイに飛び、九十四歳の元英国海軍潜水艦英雄と会った。キング艦長は彼が伊号潜水艦第百六十六号を撃沈した時の詳細を彰に説明した。訪問は三ヵ月後にまた繰り返され、キング艦長と彰は良き友人となった。

アイルランドにキング艦長を訪ねたカチャと鶴亀氏
二〇〇六年一月、デュエインは再度フィリピンに飛び、追悼記念日の除幕式に参加した。そして同年五月バージニア州で七十五歳の命を終えた。
二〇〇六年六月、カチャの紹介でヘンクと彼の妻エリーは彰夫妻を訪れ、ロサンゼルスで五日間を一緒に過ごした。彰の青い海に眠る父を求める旅の物語を聞いたヘンクの目に涙が溢れた。彼も自分の父親の潜水艦を探す旅を以前に行なっていた。その瞬間、ヘンクと彰の心は結び付き、友人となった。

鶴亀氏とヘンク
八月十五日はオランダにおいては対日勝利の日であり、蘭領東印度解放記念の日である。二〇〇八年八月十五日、ヘンクの娘で、オランダ厚生省次官であるジェット・ビュッセマーカーはスピーチを行なった。下記がその内容である。デュエインが二〇〇三年九月に踏み出した第二次世界大戦で父を喪ったデュエイン、彰、カチャ、ヘンク四人の子供達の絆は更に強くなり、実を結びつつある。
イェット・ビュッセマーカー厚生省次官の2008年8月15日のスピーチ
(対日勝利、蘭領東印度解放記念日)
ご参列の皆様、私が一九七〇年代に中学生であった頃、歴史の授業では蘭領東印度での戦争についてはほとんど学びませんでした。欧州の戦争が中心で、アジアでの戦争にはあまり目が向けられていませんでした。
しかし我が家では私の父親が元蘭領東印度での生活を話してくれました。潜水艦艦長だった彼の父親の戦死、日本軍の捕虜収容所で過ごした三年半の生活などでした。しかし彼の話はいつも言葉少な目でした。父にとっては辛い話であり、あまり思い出したくなかったのでしょう。彼のその過去がどのように過酷なものだったかは彼の長年の沈黙や日本を徹底的に憎む態度から推測出来ました。彼は日本的なものとの関わりを一切拒否し、性能の良い日本車も絶対買いませんでした。家のテレビやステレオも日本製ではありませんでした。
蘭領東印度での戦いを体験した人々にはその戦いの記憶は今も続いています。収容所での悲惨で非衛生な生活、屈辱、肉体的苦痛、常に死を意識しながらの日々、これらの記憶は月日と共に消えるわけではありません。私の父親と同じように、多くの人々は六十三年経った今でも戦いの恐怖の記憶と共に生きています。
彼らに取り、そして今日ここにご参列の皆様に取り、八月十五日はとても重要な日です。何故ならそれは日本軍からの解放の日であり、また同時に筆舌に尽せない苦しみを体験した人々へ思いを寄せる日であるからです。彼らの苦しみに対しては今まで十分に配慮がなされたとは言えません。
戦争の傷を癒すのには大変な長い時間が掛かります。
それはオランダやインドネシアの人々だけではなく、第二次世界大戦の惨劇を体験した全ての国々の人々にも言えることです。
日本もその例外ではありません。
私は一九九九年に日本を訪れましたが、日本においては原爆の被害などは強調されているものの、蘭領東印度などへの加害の歴史はあまり語られていませんでした。しかし幸いなことに少しづつその状況は変りつつあります。過去を直視し、実際に戦争中に何が起きたのか、そしてそれ以上に、何故起きたのかという検証がなされつつあります。
再度申し上げますが、戦争の傷を癒すのには時間が掛かります。多くの人々に長い時間が必要です。
それだからこそ、このようにして毎年八月十五日を記念し、追悼することが大切です。しかし追悼するだけでは十分ではありません。前途に目を向ける必要もあります。あえてこれからの将来に目を向け、前進することも大切です。一人ではなく、皆で一緒に前進すべきです。それは過去の敵とも一緒に行なうべきです。そのことにより初めて私達は戦争の傷を癒し、過去の悲しみから何かを学び取ることが出来ます。その行動こそが過酷な過去の記憶から私達を真に自由にするのだと確信します。
もちろんそれがいかに難しいことか、また多くの人々に取り、それは絶対に受け入れられないことであるか、私は十分に理解出来ます。恨みや憎しみの残る元敵に対して自分の方から半分歩み寄る力を振り絞ぼるのは難しいでしょう。しかし一部の犠牲者の方やまたは若い方、特に戦争第二世代の方々であれば、その力を持てるかも知れません。それらの人々は過去のいかんに関わらず、未来のために働く勇気を持っているかも知れません。
すでにそのような努力を始めている人々がいることに私は勇気づけられています。オランダ人や日本人などが歩み寄り、お互いを理解し、そして一緒に新しい未来を築こうとしています。私が成長する時期には日本とは一切の関わりを持ちたくないと欲した私の父親もその一人です。彼は私の祖父と同じように潜水艦乗りだった父を持つアキラという名前の日本人と交流しています。アキラの父親の乗っていた潜水艦はオランダ潜水艦を撃沈し、多くのオランダ人の生命を奪いました。しかしその潜水艦は英国の潜水艦に撃沈され、アキラは父親を喪いました。
過去の悲しみや悔しさを越えて、私の父とアキラは今とても親しい友人になっています。それはお互いが心を開き、過去の歴史を語り、信頼し合い、敵同士としてではなく、同じ人間として相手を捉えたからです。過去ではなく現在と未来を見詰めたからです。
私は二人の行動を心から賞賛します。この行動は私の父親のみならず家族にも大きな平安をもたらしました。私は元蘭領東印度での悲惨な戦いの過去から生まれた悲しみや悔しさを今も持つ全ての人々が私の父親のような平安を持てるようになる事を心から願います。
もちろん私達は一部の日本人の手で行なわれた罪業を忘れてはなりません。決して! 私達オランダ人が被った犯罪を許す必要はありませんし、またオランダ政府も許しません。しかしもし私達が前進し、世界の平和を維持するためには、私達は相互に学びあう必要があります。そのことにより、私達はお互いを受け入れることやお互いに感謝することを学べるでしょう。それは過去の体験を踏まえながら、しかし未来への希望を持って生きる人間同士として。
鶴亀彰氏の父を探した旅と著書、
『日英蘭 奇跡の出会い』に関する詳細は
以下のウエブサイトでご覧下さい。
http://www.tsurukame-book.net
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