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5/17/12

フィリピン防衛戦70周年
 


フィリピン防衛戦、バターン死の行進、コレヒドール島陥落から
70周年を記念して42425日、ワシントンで記念行事が開かれました。

 写真レポートはこちら

 


4/17/12

捕虜の娘 大嶺捕虜収容所(広島第六分所)を訪問

414日、リンダ・マクダヴィットさんは、山口県美祢市大嶺町捕虜収容所の跡地を訪れました。第二次大戦中、父親のジェローム・マクダヴィット大尉がいた収容所です。徳留絹枝と伊吹由歌子がリンダさんに同行しました。

およそ300人のアメリカ人捕虜がここに収容され、近くの炭鉱で強制労働に従事しまた。                                                                                                                                            炭鉱の入口に立つリンダさん

波左間正巳(はざま せいき)住職の先導のもとに建立された捕虜記念碑のことを知って以来ずっと、リンダさんは波左間師に会いたいと願ってきました。

リンダさんと波左間師

詳細は大嶺町訪問をクリックしてください。


毎日新聞に掲載された記事はこちら

第2次大戦当時その炭鉱を所有していた宇部興産も、丁重に心こめてリンダさんを迎えてくれました。


4/12/12

バターン死の行進」生還者にとっての未解決案件

レスター・テニー博士は、4月24・25日に 「バターン・コレヒドール陥落70周年行事」に参加するためワシントンに集結する元日本軍捕虜米兵の代表です。彼は、「バターン死の行進」70周年が彼にとってどんな意味をもっているのかを論ずる意見記事を発表しました。

...私たち生還者は名誉を取り戻したい。それを叶える一つの方法は、第二次大戦中私たちに強制労働を課した企業から謝罪を受けることである。

意見記事の全文はSan Diego Union Tribune
 


4/9/12

アントニオ・タグバ将軍

アントニオ・タグバ退役米陸軍少将が  「バターン・コレヒドール70周年記念」行事の賛同者になりました。

タグバ将軍の父親は、フィリピン・スカウトの第45歩兵連隊の兵士で [バターン死の行進] を歩きました。

タグバ将軍は、イラクのアブグレイブ刑務所における虐待事件に関する米陸軍の内部報告を作成したことで最も知られています。(詳細はニューヨーカー誌に掲載されたThe General’s Report”をご覧下さい。)
 

ローラ・ヒレンブランドさん

日本軍捕虜になったオリンピック選手ルイ・ザンペリーニの体験を綴ったベストセラー「アンブロークン」の著者
ローラ・ヒレンブランド さんからも、支援の言葉をもらいました。
 

詳細は以下のサイトでご覧下さい

   フェイスブック Commemorating Bataan and Corregidor
    「バターン・コレヒドール70周年記念」行事


4/4/12

70周年記念日

フィリピン防衛戦・バターン死の行進、コレヒドール陥落から70周年を 記憶する幾つかの行事が424日・25日に、ワシントンで計画されています。

 詳しくは70周年記念をご覧下さい。
 


3/25/12

ロバート ・ヒーア氏の捕虜体験記を掲載しました。

彼が家族に宛てて書いたメッセージは、ラジオ東京(NHK)が放送したプロパガンダ番組で放送されました

家族へのメッセージをご覧下さい


2/28/12

「捕虜次世代の会」会長・副会長のワシントン訪問

2月9日と10日、「捕虜次世代の会」会長のジョーゼフ・ヴァーター氏と副会長のキャロライン・バークハートさんは、ワシントンを訪問しました。

二人は、幾つかの全米退役軍人組織の代表、上下両院議員の多数のスタッフ、そして国務省担当者と会見しました。話し合われたトピックは、次世代の会の使命や日本政府により実施されている招聘プログラムの成功などについてでした。彼らはさらに、招聘プログラムが継続され拡大されることの重要さについても話し合いました。

ヴァーター氏の父親ジョー・ヴァーター氏はコレヒドール島で捕虜となり、1942年に満州奉天の捕虜収容所に送られ、そこで開放されました。彼は1953年から55年まで、全米バターン・コレヒドール防衛兵の会(ADBC)の会長を務め、その後2007年まで50年以上に渡って、会報誌「Quan」の編集を続けました。

バークハートさんの父親トーマス F.バークハート中尉はバターンで捕虜となり、1942年に日本に送られました。多奈川・善通寺・六呂師の捕虜収容所に収容されました。

「捕虜次世代の会」のウエブサイト


1/26/12

第二次大戦時捕虜強制労働の企業責任に関する意見記事

徳留絹枝の「歴史と向き合う勇気を」が、1月26日付け朝日新聞に掲載されました。

記事と英語訳はこちらから


1/18/12

過去の音楽.明日への友情

白石昌子(セイナ)さんは10代の頃、第二次大戦時にアメリカで流行った歌に魅せられました。戦争のために愛する人と別れる悲しさや幸せな再会を願う歌は、彼女の心を強く揺さぶりました。

1989年、彼女はニューヨークに渡り、そこで歌手になりました。そしてレオナルド・ガスキンやボブ・クランショーといった伝説的なミュージシャンと親しくなります。
                               
                     セイナさん

しかし、歌手として生きていくことは簡単ではなく、10年後に彼女は日本に帰国する決心をしました。そして歌手としてのキャリアを諦める前に、第二次大戦時の歌を自分で歌ったCDを製作し、アメリカ国内3,500の老人ホームに寄付しました。(詳細はこちら

そのCDを聞いた一人が、元捕虜そして海兵隊のミュージシャンだったドン・ヴァーソー氏でした。(彼の捕虜体験 ドンは、自分達世代のために歌ってくれて有難う、とお礼を書きました。セイナさんは、そのメッセージを読んで本当に嬉しかったそうです。1999年のことでした。

それから時は流れて2011年のことです。

インターネットを検索していたセイナさんは、ドンが前年、日本政府の捕虜招待プログラムで来日していたことを知りました。その後ドンと連絡も途絶えていたセイナさんは、当ウエブサイト 「捕虜:日米の対話」に連絡をとり、12年ぶりにドンと交信できたのです。
 

アメリカの第二次大戦世代のために歌っていた頃の思い出が、洪水のようにセイナさんに蘇りました。そして、自分がどれほど彼らのためにまた歌いたがっているかに、気がついたのです。セイナさんは、もうすぐ新しいCDを発表します。その売り上げで、アメリカ 国内100の老人ホームを訪問して歌えることを願っています。

ドンは既にCDの予約注文を済ませ、彼女のプロジェクトが成功することを祈っています。セイナさんは、ドンに初めて会えるかもしれません。
 

*セイナさんの1999年のC 新しいCD のダイジェスト。(予約はこちら

セイナさんは2月5日、北九州市でコンサートを開きます。詳細はこちら


12/30/11

痛ましい過去をめぐる対話

伊吹由歌子、熊井敏美、スーザン・ファーティグ・ダイクスによるエッセイ 「1943年パナイ島 宣教師ら処刑(希望の谷殉教)事件をめぐる対話 2011: 米元ゲリラ将校の娘・ 元日本軍将校」 を掲載しました。

希望の谷殉教


12/22/11

捕虜として死んだ祖父を称えて

ミンター・ダイアルのエッセイ 「帰ってきた指輪: 戦争・愛・勇気の物語」 を掲載しました。  

帰ってきた指輪
 


12/17/11

「次世代の会」会長、日本企業の責任に関する声明を議会に提出

全米バターン・コレヒドール防衛兵の会付属 「次世代の会」会長の ジョーゼフ・ヴァーター氏は、米下院運輸・基盤整備委員会が12月15日に開いた公聴会「カリフォルニア州高速鉄道計画:コスト急高騰とプロジェクトに関する憂慮」に、書面で声明を提出しました。

                                                 
                          Mica委員長                               カリフォルニア州高速鉄道公聴会

ヴァーター氏は以下のように書きました。

私と他の「次世代の会」会員は、カリフォルニア州がこれらの日本企業に対し、戦時強制労働との関わりを速やかに認めてアメリカ人捕虜に謝罪するよう、アドバイスして下さることを心から望みます。

何より私たちは、彼らに、これらの退役軍人の尊厳に敬意を払い、彼らがアジア地域の平和のために払った犠牲を認めることを、お願いしたいのです。

「次世代の会」会長声明


12/8/11

真珠湾攻撃から70周年

米国下院外交委員会の委員長イリアナ・ロス・レイテネン議員(共和党:フロリダ)は、1941127日の真珠湾攻撃を記憶して、声明を発表しました。その中で彼女は以下のように述べています。 

真珠湾の大きな教訓は、我々が自由と人権を守るために確固たる信念を持ち続ける必要があるということです。

オバマ大統領も声明を出しました。
 

イギリス人元捕虜アーサー・レイン氏との対話

真珠湾攻撃と同じ日、実際にはその攻撃より前に、日本軍はマラヤ半島を攻撃しました。アーサー・レイン氏は捕虜になった約8万人のイギリス兵の一人で、悪名高い泰緬鉄道建設の強制労働に就かされました。

イギリス人元捕虜アーサー・レイン氏


11/21/11

ファインスタイン上院議員の捕虜決議案が採択される

ダイアン・ファインスタイン上院議員(民主党:カリフォルニア)が提出していた決議案 「日本政府が、太平洋戦争時の全ての米元捕虜に公式謝罪し、生存する退役軍人、家族、子孫のために2010年、日本招待プログラムを設立したことを、歓迎し称える。」が、11月17日採択されました。

決議には、以下の条項が含まれています。

日本政府が米元捕虜の願いと心情を尊重し、彼らの犠牲と歴史と強制労働を認める末永い記憶と和解のためのプログラムを支援することを、依頼する。

決議の日本語訳

ファインスタイン上院議員は、「私たちはこれらの勇敢な英雄達に対し、払いきれないほどの負債を負っています。彼らが払った犠牲を、決して忘れてはなりません。」と発言しています。


11/11/11

2011年 「日米POW友好プログラム」報告を掲載しました。

                   

 

徳留絹枝のエッセイ “Japanese Companies Used American POWs as Slave Labor—Where's Their Apology?” History News Network  bit.ly/sPLE37  に掲載されました。 
写真を含むヴァージョンはこちらから


10/27/11


「アメリカン・ヘリテージ」誌 カバーストーリー

 ティモシー・ルース氏が執筆した記事 Amazing Friendship Between WWII American POW & Japanese Boy(第二次大戦米捕虜と日本の少年の素晴らしい友情)が、「アメリカン・ヘリテージ」誌最新号のカバーストーリーになりました。

American Heritage Magazine Volume 61, Issue 2

記事は、ルース氏が、戦時中捕虜だった祖父を助けてくれた少年を探すため、201011月に来日した際の体験を基にしたものです。「バターン死の行進」生還者元捕虜の孫が日本訪問
 


10/10/11

2011年度 日本POW友好プログラム

日本政府は、第2POW友好プログラムとして、7人の米元捕虜とその家族を一週間の日本旅行に招待することになりました。計画にあたっては、昨年の訪日団の代表だったレスター・テニー博士が、米国務省を通して日本外務省に協力しました。以下の参加者が1016日に日本に到着します。


ロバート J.フォグラー
(90)
カリフォルニア州サンディエゴ在住。1940年、陸軍航空隊に入隊。バターン死の行進を歩きました。1942年10月、「鳥取丸」で中国の奉天(現在の瀋陽)に送られ、1944年5月に日本の神岡に移送されました。彼と夫人は1997年、神岡を再訪し、鉱山や町の関係者、一般市民や小学生から暖かい歓迎を受けました。


オスカー L. レオナード (92)
カリフォルニア州パラダイス在住。1939年、アイダホ州警備隊に入隊しその後1940年に陸軍航空隊に入隊。1942年5月、ミンダナオ島で捕虜となり、1942年10月、「鳥取丸」で日本に送られました。 川崎 日立の捕虜収容所に収容されました。戦後薬剤師となり、今でも近所の薬局を臨時で手伝っています。


ハロルド A. バーグバウアー (91)
アリゾナ州ピオリア在住。1939年、陸軍航空隊に入隊。1942年5月にミンダナオ島で捕虜となり、1944年8月、「能登丸」で日本に送られました。高岡市の能町捕虜収容所に収容されました。戦後も空軍に留まり、日本の航空自衛隊を訓練するため再来日し(1954‐1957)家族と共に、浜松と板付(福岡)に滞在しました。
 

ロイ・エドワード・フリース (88)
カリフォルニア州カリメサ在住。1941年に陸軍航空隊に入隊。 1942年5月にコレヒドール島捕虜となり、1943年7月、「クライド丸」で日本に送られました。大牟田捕虜収容所に収容されました。戦後、陸軍に再入隊し、1947年に空軍に移籍しました。20年間の軍人生活の後、引退しました。
 

ジェームス C. コー リー (88)
カリフォルニア州サリナス在住。1940年に16歳で陸軍航空隊に入隊。1942年5月にコレヒドール島で捕虜となり、1944年8月、「能登丸」で日本に送られました。高岡市の能町捕虜収容所に収容されました。31年間、英語と心理学を教え、高校と公立短大で進路相談カウンセラーを務めました。

 
ハリー・コーレ(88)
カリフォルニア州ロサンゼルス在住。1941年に陸軍入隊。1942年5月にコレヒドール島で捕虜となり、1943年7月、「クライド丸」で日本に送られました。大牟田捕虜収容所に収容されました。現在も、ロサンゼルス退役軍人病院で、患者の立場の代弁者として働いています。


ラルフ E. グリフィス (88)
ミズーリ州ハンニバル在住。1941年17歳で陸軍に入隊。1942年5月にコレヒドール島で捕虜となり、1942年10月「鳥取丸」で、朝鮮を経由して中国の奉天(現在の瀋陽)に送られました。戦後は鉄道会社で37年間働き、引退しました。

 

参加者は日本滞在中、かつて収容されていた捕虜収容所跡地を訪ねた後、京都観光をします。その他に政府関係者と面会し、学生や市民グループとも交流します。


9/22/11

心に刻んで

捕虜と行方不明兵に思いを馳せる日の916日、ジュディス・ハイジンガーさんとヴァージニア(ジンジャー)ハンセン・ホームズさんは、海軍が執り行った追悼式に参加しました。

ジュディスさんは、亡くなったご主人のデュエイン・ハイジンガー海軍退役大佐の著書「Father Found」から、ジンジャーさんはご自分の著書「ゲリラの娘」からそれぞれ朗読しました。


                       
         
故ハイジンガー退役大佐と(2006)   ダン・マキナン海軍少将 とご主人のケントさん

                           


父はフィリピンから帰って来ませんでした。乗せられた二隻目の地獄船が爆撃を受けた数日後、死が訪れる直前に僅かな言葉を囁きました。最期まで傍にいてくれた人に、彼は微笑み、そして次第に意識を失い亡くなったのです。
                                                           
    -- Father Found 作者の言葉から

戦争の最初の数週間、日本軍の捕虜となったらどうなるかは、友人や同僚の間で交わす会話の大事な話題でした。家族の間では、若い女子の方が男子より大きな危険に晒されるというのが、一致した意見でした。それ母と父は、もし日本軍に捕まってしまった場合、私とピーチ(姉)が男の子の振りをしていた方がよいのでないか、と思ったのです。それで両親は、近くの村から理髪屋を家に呼び、私たちの髪を切らせました。
                                                                                    -- 「ゲリラの娘」から
 

捕虜の銅像

サンデイエゴのミラマー国立墓地 に、アメリカの捕虜を称える像が建てられました。

「開放の瞬間」と名づけられた像は、捕われの身から解き放たれた喜びを表しています

元捕虜の会代表レスター・テニー博士と友人のクレイー・パーキンス氏が、それぞれの夫人と共に除幕式に出席しました。

             (写真提供:クレイ・パーキンス氏
 


9/16/11

「捕虜・行方不明兵に思いを馳せる日」の意見記事

ラルフ・レベンバーグ氏の意見記事 “「捕虜・行方不明兵に思いを馳せる日」に米議会は行方不明 Huffington post に掲載されました。

私が求めているのは、心からの誠実な謝罪、そして私がそこにいたということを忘れないで貰いたい、ということだけだ。しかし先ず、米議会は私たちを支援しなければならない。
 


9/10/11

フランシス W. マリコースキー氏の体験記

エドワード・マリコースキー氏は、「兄は僕のヒーロー(A Brother’s Hero)」という著書を最近出版しました。彼の兄フランは、バターン死の行進に生き延び、その後、向島の日立造船所で強制労働に就かされました。

マリコースキー
 


9/1/11

第二次大戦終結記念日の意見記事

レスター・テニー博士の意見記事 日本での強制労働から66尊厳を求める元米兵捕虜」 が、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載されました。彼は次のように書きました。

この一連の努力の根幹にあるのは単純な真理、すなわち多くの苦難に耐えた人々をしのび、認め、敬意を表さなくてはならないということだ。

 英語のオリジナル記事はこちら 日本語訳はこちらで読めます。


8/28/11

「バターン死の行進」最高齢生存者の逝去

ジャン・トンプソン氏のエッセイ「最年長バターン死の行進生還者をアルバート・ブラウン医師を偲んで」を掲載しました。

アルバート・ブラウン

ジャン・トンプソン氏は「バターンの悲劇」のプロデユーサーです。


8/26/11

大嶺捕虜収容所記念碑

8月12日付けの毎日新聞は、大嶺捕虜収容所の歴史と地元の有志者がその跡地に1996年に建設した記念碑に関する記事を、掲載しました。
 

毎日新聞 大嶺捕虜収容所記念碑
 


8/12/11

ブログ「日本軍米兵捕虜」の開設

これは、日本・北東アジア地域と米国の政治関係を研究するワシントンDCの非営利団体 Asia Policy Point のリサーチ・プロジェクトです。

プロジェクトの目的は、捕虜の第二次大戦時と戦後の体験、そしてそれが米日同盟に与える影響に関して、アメリカ人を啓蒙することです。

最新のエントリーは、仙台地区捕虜収容所とそこで捕虜に強制労働を課した日本企業に関するものです。

American POWs of Japan日本軍米兵捕虜」


7/23/11

「アンブロークン」著者、ローラ・ヒレンブランド氏

米国でベストセラーとなっている「アンブロークン:第二次大戦時のサバイバル・不屈・贖罪の物語、Unbroken:  A World War II Story of Survival, Resilience, and Redemption」の著者、ローラ・ヒレンブランド氏の、米国営ラジオ放送のインタビューテープと、日本人へのメッセージを掲載しました。  

ヒレンブランド メッセージ


7/22/11

DG-ADBC (米捕虜次世代の会) に参加しての感想

前川志津さんは、米元捕虜に関する博士論文を書いている大学院生です。彼女は最近ピッツバーグで開かれた、2011年度 「捕虜と次世代の会」 総会に出席しました。

前川エッセイ


6/30/11

捕虜決議案

カリフォルニア州選出の民主党連邦下院議員マイク・ホンダ氏は6月24日、第二次大戦中に日本軍の捕虜になった米退役軍人を称える、超党派による決議案を、提出しました。

決議案

ホンダ議員の事務所が発表したプレスリリース
 
                                                 マイク・ホンダ下院議員
                                      元捕虜エド・ジャックファート、レスター・テニー夫妻と


6/18/11

捕虜になったB-29航空士、ハロラン氏逝去

伊吹由歌子さんのエッセイ「レイモンド・ハップ・ハロランさんを偲んで」を掲載しました。


6/8/11

捕虜の息子、テキサス高速鉄道会社社長を訪問

地獄船「ブラジル丸」船上で死んだジョン L. ルイス中佐の息子ジョン・ルイス氏はフラン夫人と共に、日本の新幹線技術をテキサスでプロモートするLone Star High-Speed Rail 社の社長 ロバート・エッケルス元判事を、訪問しました。(ロバート・エッケルス元判事に関する記事はこちら

ルイス氏は、彼の父親の体験を判事に語りました。

                                      
ジョン・ルイス氏 とエッケルス元判事

彼はさらに、「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」の4人の元会長が、アメリカ人捕虜を奴隷のように扱った日本の企業に、彼らの捕虜体験を記憶し 敬い、それから学ぶ努力に加わることを要請する手紙を手渡しました。

レスター・テニー博士、エド・ジャックファート氏、ラルフ・レベンバーグ氏、ジョー・アレクザンダー氏からの 手紙 


5/30/11

メモリアル・デーに関するエッセイ

ウェス・インヤード氏のエッセイ「1943年のメモリアル・デー」を掲載しました。 1943年5月30日、1,500人のアメリカ人捕虜が、カバナツアン捕虜収容所で死んだ2,644人の仲間の追悼式に参加しました。   1943年のメモリアル・デー
 


5/15/11

元捕虜オーバマイヤ氏インタビュー

ウィリアム・オーバマイヤ氏が、横浜三菱ドックでの強制労働体験と藤崎大使の謝罪について語っています。彼は、大使の謝罪を名誉ある行為であったと、発言しています。

オーバマイヤ氏が収容された収容所(東京捕虜収容所1-D)では、54人の捕虜が死亡しました。

.オーバマイヤ氏インタビュー            
                            
     オーバマイヤ夫妻と日本人大学生杉原翔さ


4/9/11

時を越えた親切な行為

ワシントン・ポスト紙は "Timeless acts of kindness: Tim Ruse took his grandfather’s story and an old photo and went in search of the Japanese boy who helped the soldier survive as a prisoner during World War II. " (時を越えた親切な行為:ティム・ルースは、祖父の物語と古い写真を携え、祖父が第二次大戦の捕虜として生き残ることを助けた日本の少年を探す旅に出た) を掲載しました。

記事はワシントン・ポスト、関連の写真はアルバムでご覧下さい。日本語訳は、このサイトで読めます。


3/25/11

POW友好プログラム」参加者から 被災者へのお見舞い

昨年「POW友好プログラム」で日本を訪問した元日本軍捕虜とその家族14が、 東日本大震災津波被災者へのお見舞いの手紙を、藤崎一郎駐米大使に送りました。


 

「私たちは、貴方の国と人々を襲った破壊を、深い悲しみと共に見つめております。そして、日本の人々が私たちの想いと祈りの中にあることを、知って頂きたいと思います。」


手紙は、「捕虜次世代の会」副会長のカロライン・バークハートさん以下数人のワシントンDC周辺在住の捕虜次世代が、日本大使館に持参しました。

大使館の大原義宏氏が、手紙を受け取りました。

手紙全文
 


3/17/11

日本の人々への想いと祈り

元捕虜とその家族は、3月11日に大地震と津波に見舞われた日本の人々に、思いやりメッセージを送っています。

日本の皆さんへのメッセージをご覧下さい。


3/10/11

捕虜の子供達からミネタ元運輸長官へ

「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会:次世代の会」の役員会は、ミネタ元運輸長官に支援を依頼する手紙を書きました。

私達は、米国に高速鉄道を建設するための貴方の努力を理解しますが、この機会に、それらの契約に入札しようとしている日本企業に、人間の良識が求める当然の要求…第二次大戦中にアメリカ人捕虜を奴隷労働者として使ったことを認め、生存する元捕虜に謝罪をする…に応えるよう、働きかけて下さるようお願いします。

「次世代の会」からミネタ長官への手紙全文


3/3/11

元運輸長官への手紙

アメリカの元日本軍捕虜組織(ADBC)の三人の元会長、レスター・テニー博士、エドワード・ジャックファート氏、ラルフ・レベンバーグ氏が、ノーマン・ミネタ元運輸長官に支援を依頼する手紙を書きました。

手紙の全文


2/19/11

米国の高速鉄道プロジェクトと日本の第二次大戦時捕虜強制労働

共同通信は2月18日、「元捕虜、米国の鉄道建設受注を目指す日本企業からの謝罪を望む」と題する記事を発表しました
 Ex-POW wants apology from Japanese firms seeking U.S. rail contracts.

その記事の中で、「バターン死の行進 」と三井炭鉱での強制労働の生還者であるレスター・テニー博士は、「私達が言っているのは、契約が欲しいのなら、(日本企業は)社会的問題にも責任を持ち、その責任を示すべきだ、ということだけです。」と語っています。

*アメリカの高速鉄道計画への入札を目指す日本企業の多くが第二次大戦中に米捕虜に強制労働を課していました。

記事はまた、「川崎重工業の大橋忠晴会長は、高速鉄道プロジェクトに関連付けて戦時中の出来事を持ち出すことが適切 かどうかに、疑問を呈した。」と書いています。

しかし、ノーマン・ミネタ元米国運輸長官は次のように発言したと 、書かれています。「企業がどのように関わったのか、そのような扱いが蔓延していたのかにもよるが、(企業は)たぶん謝罪するべきであろうと、私には思えます。」

またテニー博士は、シュワルツェネッガーカリフォルニア州知事と面会し、捕虜問題への支援を訴えました。

同面会に関するサイモン・ヴィーゼンタール・センターの発表

Ex-WWII POW Meets CA Governor for Support in Pressuring Japanese Companies to Apologize for WWII Slave Labor
 

 


2/3/11

66年前の今日

1945年2月3日、マニラのサント・トマス民間人収容所が解放されました。開放された2人の収容者のこの写真は、1945年3月5日号の「ライフ」誌に掲載されました。

サント・トマス民間人収容所の開放をご覧下さい。
 


1/27/11

奉天捕虜収容所に関するエッセイを掲載

奉天捕虜収容所は、2000名余りの連合軍捕虜を収容した日本軍最大の捕虜収容所の一つでした。その跡地は、中国政府からの支援を受けた瀋陽市(元奉天)と遼寧省により、歴史博物館に改装されました。

奉天捕虜収容所


1/10/11

カリフォルニア州新知事に支援を依頼する手紙

「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」元会長の レスター・テニー氏は、カリフォルニア州知事ジェリー・ブラウン氏に手紙を書きました。

貴方が近くカリフォルニア州の高速鉄道建設に入札しようとする日本企業に会われる際、彼らがアメリカ市民の人権を侵害したことを認めるよう、強く主張して下さることをお願い致します。これらの日本企業は、戦時中アメリカ人捕虜を使役酷使したことを認め、それに謝罪し、私達アメリカ退役軍人の歴史を語り継ぐための教育基金を設立するべきです。

 手紙の全文


1/9/11

「米国ユダヤ系退役軍人の会」からの支援

米国ユダヤ系退役軍人の会JWV)の全米会長 Stephen (Steve) R. Zeitz 氏は、フロリダ州とカリフォルニア州の知事に、元日本軍捕虜米兵を支援する手紙を送付しました。彼の行動は、先月日本の雑誌に、レスター・テニー博士による「バターン死の行進」と彼が受けた拷問に関する記述に疑問を投げかける記事が掲載されたことへの、対応でした。

テニー博士は昨年9月、日本政府が元捕虜とその子供を日本に招待した際、一行の代表を務めました。彼らは当時の岡田克也外務大臣から、捕虜として受けた非人道的扱いに関して正式な謝罪を受けました。

知事への手紙はどちらも、彼らの州の高速鉄道建設計画に入札をしようとしている日本企業(その多くが米捕虜に奴隷労働を課した)に、日本軍捕虜の歴史に関する教育プロジェクトへの支援を強く促すことを、要請しています。

JWV letter to Florida Governor Rick Scott
JWV letter to California Governor Jerry Brown

テニー博士に関する記事の英訳
 


1/5/11

フロリダ州新知事に支援を依頼する手紙

「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」元会長のエドワード・ジャックファート氏は、フロリダ州知事リック・スコット氏に手紙を書きました。

前原誠司日本国外務大臣に対し、フロリダの高速鉄道建設に入札しようとする彼の国の大企業は戦時中の米兵捕虜の使役虐待を認める必要があると、貴方から告げていただきたいのです。

 手紙の全文