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10/29/08

三編の新しいエッセイを掲載しました。

寺内良雄氏を偲んで
伊吹由歌子

マーティン・クリスティ海兵隊大尉の思い出
ドン・ヴァーソー 

ボブ・ブラウンの思い出
シェリー・ジンブラー



10/3/08

鶴亀彰氏のエッセイ「父喪失が生んだ友情」を掲載しました。

第二次大戦で死んだ父親を探す鶴亀氏の旅は、父親が乗っていた潜水艦に沈められて死んだオランダ海軍将校の娘と、その後父の潜水艦を沈めたイギリスの潜水艦艦長、そして戦争で父を亡くし自らも民間人として日本軍に収容されたオランダ人男性との間の、素晴らしい友情に繋がりました。

鶴亀氏は、故
デュエイン・ハイジンガー退役海軍大佐に、この旅を続け、本を書くよう励まされました。

 


9/30/08

捕虜補償法案、上院を通過せず

捕虜補償法案(S.3107)の共同提出者ジェフ・ビンガマン上院議員とオーリン・ハッチ上院議員は、彼らの法案を、上院防衛予算法案の修正条項として加えようとしました。9月17日、党派間でぶつかり合いがあった後、100あまりの修正条項が入ったパッケージを上院は認めませんでした。捕虜補償修正条項は、その中の一つでした。

票決の前の週、元日本軍捕虜の会(ADBC)の会長レスター・テニー氏と財務のエドワード・ジャックファート氏は、法案への支援を訴えるためワシントンを訪れました。今回は手続き上の困難があり法案は通りませんでしたが、有力議員が支持を表明しました。彼らのある者は、次の会期でこの問題に取り組む用意があると発言しました。
 



ハリー・リード上院院内総務と





カリフォルニア州選出のバーバラ・ボクサー上院議員と
 

ボブ・フィルナー下院退役軍人委員会委員長と
 



夫人たちとマイク・ホンダ下院議員と
 


9/24/08

麻生首相と戦時捕虜強制労働の関連に関する記事

『週刊現代』10月4日号は、麻生首相の父親が所有していた炭鉱での捕虜強制労働に関する記事を、掲載しました。記事の英訳は、米政府関係者や研究者の間で既に回覧されています。  記事の全文と英訳 
 



1933 photo of coal sorting equipment at Aso Yoshikuma mine in Keisen town, Fukuoka
(Kyushu University Digital Archives)

麻生炭鉱での捕虜強制労働に関する詳細は、ウイリアム・アンダーウッド氏の記事 "Proof of POW Forced Labor for Japan’s Foreign Minister: The Aso Mines, をご覧下さい。


9/8/08

ラルフ・レヴェンバーグ氏インタビューを掲載しました。

全米元日本軍捕虜の会(ADBC)会長ラルフ・レヴェンバーグ氏は1994年、第二次大戦中に彼らが蒙った不正義の問題に旧連合国が取り組もうとしないことに関して、国連人権委員会に訴えました。その後、 米国を除く全ての旧連合国は、自国の元日本軍捕虜に補償しました。 レヴェンバーグ氏インタビュー
 


9/6/08

元日本軍民間人捕虜の会

9月6日、南カリフォルニアに住む元日本軍民間人捕虜がトーランスで昼食会を開きました。全米元民間人捕虜団体(BACEPOW)の代表であるアンガス・ロレンゼン氏の司会で、彼らの戦時中の体験をいかにして多くの人々に伝えていくかが、話し合われました。

米政府の記録によれば、第二次大戦中約14,000人の民間人が、主にフィリピンや中国で日本軍により収容され、うち約1,500人が病や飢餓そして処刑で命を落としました。民間人捕虜の多くは子供たちでしたが、彼らは今でも鮮明に収容所での体験を覚えています。



当ウエブサイト代表の徳留絹枝と元日本軍民間人捕虜


9/5/08

レスター・テニー博士、TVで、捕虜補償法案の成立をアピール

 
                  


全米元日本軍捕虜の会(ADBC)会長、レスター・テニー博士 は9月4日、サン・ディエゴのチャンネル6ニュースに出演し、議会が捕虜補償法案を成立させるよう訴えました。(法案全文

番組の中で、米下院退役軍人委員会のビル・フリナー委員長は次のように発言して、支援を表明しました。

これは道義上必要であり、歴史的にも米国にとって必要なことだ。我々は全世界の歴史で最も豊かな国だ。もちろん、これらの捕虜に感謝を述べるための資金はある。

テニー博士は以下のように述べました。

これが最後です。私たちがこれまで何年もしてきたことは正しかったと認める補償を得られるか、それとも私たちがこれで諦めなければならないのか、どちらかです。
 

このニュースは以下のサイトで見れます。
 
http://www.sandiego6.com/mediacenter/local.aspx?videoId=504926@xetv.dayport.com&navCatId=5 


8/22/08

伊吹由歌子の書籍紹介:「原爆で死んだ米兵秘史」森重昭著を、掲載しました。            


8/15/08

エッセイ「捕虜補償法案:日本にとっての意味」を掲載しました。
 


8/8/08

捕虜追悼礼拝

8月2日、日本の市民グループが、第二次大戦中に日本で亡くなった捕虜のため、第14回追悼礼拝を横浜の英連邦戦死者墓地で行ないました。この墓地には、1,700人あまりの英連邦国捕虜が埋葬されています。

墓地内の追悼ホールの壁には、地獄船で門司に到着した後亡くなった48人のアメリカ人捕虜の名前も刻まれています。

追悼礼拝には、英連邦国の大使館職員も含めて、100人以上が参加しました。

 
 

詳細は、伊吹由歌子の報告をご覧下さい。


8/1/08

米国公共テレビの人気番組に元捕虜出演

7月21日、元捕虜で当ウエブサイトの役員の一人であるドン・ヴァーソー氏が、米国公共テレビPBSの「History Detectives "歴史探偵"」に出演しました。

その日の話題は、戦前の上海に駐留した米第四海兵隊の誰かが所有していたジャケットについてでした。ドンは、第四海兵隊のバンドでフレンチ・ホルンを担当していました。番組では、彼の捕虜体験も紹介されました。詳細はHistory Detective story
 

                  

     「歴史探偵」に出演するドン            戦前の上海時代のドン(1941)

 
ドン・ヴァーソー氏の捕虜体験記はこちら
 

捕虜補償法案が米上下両院に提出される

第二次大戦中に日本軍に捕われ、日本帝国政府あるいは日本企業に奴隷労働を強要され、基本的人権を奪われた米国の軍人と民間人雇用者の、英雄的貢献を評価するため

第二次大戦中に日本帝国政府あるいは日本企業に奴隷労働を強要された米国の軍人と民間人雇用者、あるいは生存する配偶者への2万ドルの補償の支払いを求める。

法案の全文は Thomas S. 3107 か H.R. 6497とタイプして、読めます。 日本語訳
 



7/27/08

「神戸港平和の碑」が建立される

神戸の市民団体「神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会」は、市民に募金活動を呼びかけ、第二次大戦中、日本政府と企業によって神戸港に連行され、強制労働で亡くなった朝鮮人、中国人、連合軍捕虜を慰霊する「神戸港平和の碑」を建立する活動を進めて来ましたが、7月21日(月)に完成し、除幕式を開きました。    

詳細は、福林徹氏の報告をご覧下さい。「神戸港平和の碑」



7/23/08

ウォルター・ライリー氏のエッセイを掲載しました。

アメリカ人の父と日本人の母を持つライリー氏は、第二次大戦中マニラのサント・トーマス民間人収容所に入れられました。 

ウォルター・ライリーの物語
 



7/16/08

全米元日本軍捕虜の会(ADBC)会長、レスター・テニー博士のプレス・リリース

     "JAPAN MISSES OPPORTUNITY TO HEAL WARTIME WOUNDS"

捕虜:日米の対話」による日本語訳

このリリースは、ロイターをはじめ数多くのメディア機関を通して、報道されました。


7/14/08

花輪収容所跡地を訪問したジム・ネルソン氏の
エッセイを掲載しました。

父の足跡を辿って



 


6/27/08


多奈川と生野捕虜収容所で通訳だった小林一雄氏の回想録 「捕虜と通訳」の抜粋を掲載しました。 捕虜と通訳   
 


6/21/08

レスター・テニー博士の日本訪問


US-Japan Dialogue on POWs, Inc. 
の東京代表である伊吹由歌子が、全米元日本軍捕虜の会 American Defenders of Bataan and Corregidor 会長、レスター・テニー博士の日本訪問に関して、詳しい報告を書きました。

レスター・テニー博士の日本訪問をご覧下さい。

 


 

著名な従軍記者、アイリス・チャン氏の「バターン死の行進」本を引き継ぐ

故アイリス・チャン氏が、バターンで戦った戦車部隊と「バターン死の行進」に生き残ったその隊員について書こうとしていた本の執筆を、著名な従軍記者であるジョーゼフ・ギャロウェイ氏が引き継ぐことになりました。

ギャロウェイ氏は、We were Soldiers Once...And Young の著者で、現在はMcClatchy Newspapers のコラムニストです。(彼の最近のコラムは、アブグレイブ刑務所での虐待の実態調査を指揮したトニー・タグバ将軍に関するものでしたhttp://www.mcclatchydc.com/101 ちなみに、タグバ将軍の父親は、バターン死の行進中に逃亡し、ゲリラ兵になった人物です。)

ギャロウェイ氏は、チャン氏の遺族から、彼女のリサーチを続け、彼女が書こうとしていた本を仕上げて欲しいと依頼を受けたことを、「捕虜:日米の対話」 代表の徳留絹枝に知らせてきました。

本の内容は、第192戦車大隊に関するものです。、同大隊のB中隊に所属していたレスター・テニー博士 (現ADBC会長)は、チャン氏から4回のインタビューを受けていました。

ギャロウェイ氏によれば、本の出版は数年後になるとのことです。                                          
 


6/16/08

元日本軍捕虜の会代表、参議院議長を訪問

6月4日、American Defenders of Bataan and Corregidorの会長レスター・テニー博士が、江田五月参議院議長を、訪問しました。藤田幸久・今野東参院議員も出席しました。

会談の様子は、ビデオでご覧下さい。

テニー博士は、日本政府が実施してきた招待プログラムに、アメリカ人元捕虜とその家族も加えて欲しいという、ADBCの要請を、江田議長に伝えました。”過去に関する誠意あるそして正直な評価を促し、相互理解を推進する”ことを目的に、毎年40-50人のイギリス・オランダ人元捕虜とその家族を日本に招待するプロ グラムから、アメリカ人元捕虜と家族はこれまで除外されてきました。
 


写真:江田議長のホームページから
 

6月6日、テニー博士は、捕虜問題について学ぶ国会議員の集まりに、ゲスト講師として招待されました。会には、羽田孜元総理大臣(左写真)と、与野党の国会議員が参加しました。

国会議員との面会の他に、テニー博士は大学や市民活動グループの集会で講演しました。

また、元シベリア抑留者のグループとも交流しました。

テニー博士の日本訪問は、NHK、朝日新聞、などで報道されました。


中野聡教授による、テニー博士と彼の回想録の訳者の一人である伊吹由歌子さんへのインタビューが、一橋大学で録音されました。



インタビュー:  http://cspr.soc.hit-u.ac.jp/recordings/tenney/view

テニー博士訪日に関してニューヨーク・タイムズ紙に掲載された意見記事 (含日本語訳)
Long March to an Apology by Mindy Kotler

テニー博士の講演会に参加したトビアス・ハリス氏の感想: Observing Japan



捕虜の息子、父親が強制労働に就かされた収容所跡地を訪問


月30日、秋田県花輪(現鹿角市)にあった仙台捕虜収容所第六分所に収容されていたジョン・ネルソン氏の息子ジム・ネルソンさんが、収容所跡地と三菱尾去沢銅山を訪ねました。ネルソンさんの父親は、栄養失調と銅山での過酷な労働で視力を失い全盲となりました。ネルソンさんを案内したのは、英国捕虜を殺害した罪で戦後処刑された父をもつ駒井修さんでした。二人の息子の花輪への旅は、NHKが放映した4分間のニュースで報道されました。

ネルソンさんは、「本当に人生を変えるような体験だった。父に近づけた」と語り、駒井さんは「戦争の悲劇の影響を受けるのは、私たちが最後になって欲しい」と語りました。               

ネルソンさんの花輪訪問を伝える河北新報記事
                                                            
ネルソンさんは、父親の捕虜体験を綴った本を書き上げたところです。当ウエブサイトには
「バターン死の行進」 ― その原因の再考 を書いています。

駒井さんは、父のことを思う―「戦犯の子」として生きた私の戦後 を書いています。


       
       
小川の左側に花輪収容所があった。今は尾去沢中学校の校舎が建つ
                 駒井修氏、徳留絹枝、ジム・ネルソン氏
 


5/26/08

Philippine Scouts Heritage Society 年次総会

5月23−24日、Philippine Scouts Heritage Society の年次総会がカリフォルニアのバーリンゲームで開かれました。

フィリピン・スカウトは、マッカーサー将軍の下で戦った兵士たちです。第二次大戦の最初の戦いを戦ったフィリピン部隊の一部で、おそらく開戦当時、米陸軍の中で最もよく訓練され応戦準備のできていた部隊でした。彼らのほとんどは米陸軍に志願したフィリピン兵で、アメリカ人将校に指揮されていました。
                                                                                                                                        



フィリピンスカウトのベテランとPSHSのメンバー
 

フィリピン系アメリカ人で将軍の階級を得た3人の一人であるオスカー・ヒルマン退役陸軍准将が、基調演説をしました。ヒルマン准将の祖父・父親・2人の叔父はバターン死の行進を歩き、祖父と一人の叔父は行進中に亡くなっています。
  
                                                      
Philippine Scouts Heritage Society に関する詳細は、以下のサイトで。

http://www.philippine-scouts.org/index.html

                                                                                                      
                                  
   


5/22/08

2008年度ADBC (元日本軍捕虜の会)の写真集掲載  

      
 


5/19/08

ADBC (元日本軍捕虜の会)会長のレスター・テニー氏テレビ出演

以下Youtube、「バターン生還者レスター・テニーの慰問箱プロジェクト」をご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=Diah0uKEFRg  (courtesy of 10 News)


テニー氏の捕虜体験も紹介されています。


4/28/08

全米バターン・コレヒドール防衛兵(捕虜)歴史博物館に関するニュース掲載

捕虜歴史博物館 


4/22/08

グレン・フレージャー氏の捕虜体験記を追加 

フレージャー


 


4/13/08

2008年バターン追悼死の行進

3月30日、ニューメキシコ州ホワイト・サンズで開かれたこのイベントに、4,400人以上が参加しました。彼らは、第二次大戦緒戦で、フィリピンの防衛にあたった兵士たちを称えるため、42キロの本コースか25キロの名誉コースを走り、或いは歩きました。

 http://www.bataanmarch.com/2008%20Gallery.htm に今年の写真があります。
http://www.youtube.com/watch?v=OqRAp9m3R8U
に昨年の動画があります。

 



アンソニー・ゼンデヤス君が「民主主義の声」エッセイコンテストで2位
受賞エッセイ:米退役軍人を敬う僕の役割:真に犠牲的行為の現実を描く



”バターン死の行進:正義を求めて66年”の
日本語訳掲載
 


4/8/08

"The Bataan Death March and the 66-Year Struggle for Justice" がオンラインジャーナル「Japan Focusに掲載されました。

http://japanfocus.org/products/details/2714


新しいウエブサイト
Mukden Prisoner Of War Remembrance Society」をリンクしました。 http://mukdenpows.org/
 


3/26/08

日本人学生のエッセイ掲載

5月に開かれる元捕虜の大会に参加予定の石丸賀久さんのエッセイを掲載しました。
ADBC (元日本軍捕虜米兵) 大会参加を前に


3/15/08

セシリーマットクス・マーシャルさんの体験談を掲載

セシリーさんの家族は、ミンダナオの民間人捕虜収容所、そしてマニラのサント・トーマス収容所に入れられました。

セシリーさんは最近 Happy Life Blues: A Memoir of Survival という回想録を出版しました。その抜粋とメッセージを掲載しました。
 

日本兵のお友だち

Ruth Broaddus Chastain さんから写真と依頼が、当ウエブサイトに送られてきました。



Ruth と日本兵のお友だち

私は1940年12月、7人兄妹の末っ子としてフィリピンのマニラで生まれました。日本軍が1942年にマニラを占領したとき、1人の日本兵が私の家族と親しくなりました。彼は私の母に、自分にも母国に私と同じ年の娘がいるのだと、話しました。戦地に離れているので、まだその娘さんを見ていないということでした。彼は、食糧 の入手が困難になると、私たちに食べ物を運んできてくれました。持ってきてくれたお餅に因んで、私たちは彼を「プルート」と呼びました。おもちゃも持ってきてくれました。彼は、私たち家族がサント・トーマス収容所に 入るとき、荷物を運ぶのを手伝ってくれました。彼 が誰だったのか知りたいと思います。そしてもし可能であるなら、私と同年だというお嬢さんに連絡したいものです。

US-Japan Dialogue on POWs の東京代表、伊吹由歌子の返答:

この写真と説明をお送り下さり、ありがとうございました。フィリピンでは50万人以上の日本兵が死んでおり、生還者はごく僅かでした。それで、この兵士についての情報を見つけるのはかなり難しいと思います。でもお役に立てるよう、全力を尽くしてみます。


2/28/08

善通寺捕虜収容所の写真を掲載

吉田文夫氏から、善通寺捕虜収容所で働いておられた父親、吉田茂陸軍中尉が保管していた写真が寄せられました。

父親が善通寺に収容されたシャーレーン・スザンナ・ヘルマーズ・グロスさんとケヴィン・メンジス氏からの手紙も、掲載しました。

善通寺捕虜収容所写真集をご覧下さい。


2/23/08

新しいアドバイザー

サーシャ・ウェインツハイマー・ジェンセンが、US-Japan Dialogue on POWs, Inc. のアドバイザーになりました。日本軍の捕虜だった人々の歴史に理解と対話を促進する努力を、支援して頂きます。 アドバイザー

ジェンセンさんの民間人捕虜体験


2/16/08

マニラ開放63周年:日本軍米民間人捕虜の集い”を掲載

会は、最近アメリカの公共テレビPBSで放映されたドキュメンタリー「戦争」で、マニラにあったサント・トーマス民間人捕虜収容所で過ごした子供時代の思い出が紹介された、サーシャ・ウェインツハイマー・ジェンセンさんが、計画して開かれました。

サント・トーマス収容所が開放されて63周年の2月3日に、カリフォルニア州フリモント市で開かれた集会には、全米から200人あまりの元民間人捕虜が参加しました。
 


2/1/08

小林晧志のエッセイ ”善通寺捕虜収容所 が掲載されました。 



善通寺捕虜収容所のアメリカ人捕虜


1/15/08

シーファー大使との面談

カリフォルニア州ラホヤで開かれた日米協会の昼食会で講演したシーファー駐日米国大使は、会の後、US-Japan Dialogue on POWs, Inc の役員に面談の機会を下さいました。

  
                             
           Clay Perkins,   Amb. Schieffer
    Dorothy Perkins, Don Versaw, Betty Tenney,           Kinue Tokudome, Lester Tenney, Bonnie Kane

 

バターン死の行進と三井炭鉱での3年間の強制労働から生還したレスター・テニー博士は、シーファー大使に次のように伝えました。

過去は未来を映し出す鏡です。そして過去の過ちを否定するなら、日本は二流国家になってしまうでしょう。捕虜に対して為された残虐行為に、きっぱりと最終的な意義ある謝罪を受け取るため、私たちは福田総理との面会を求めます。

テニー博士は今年、元日本軍捕虜の会である American Defenders of Bataan and Corregidor の最後の会長となります。
 



1/1/08

エッセイ 「捕虜:日米の対話」 4年目を迎えて”を掲載しました。
 

ーファー大使に福田総理との面談依頼するテニー博士の手紙 を掲載しました。