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12/10/07
11/29/07
http://video.google.com/videoplay?docid=-2031467021365325175# アメリカの公共放送PBSのインタビュー番組で、チャーリー・ローズが、「日本軍の捕虜」の著者ガバン・ダーズと、2人の元捕虜ににインタビューしています。
「補償などに興味はありません。私はただ、日本が世界に向けて はい。私たちはあなた方にそのようなことをしました。そして申し訳なく思っています。と言って欲しいのです。」
「私は、日本に、第二次大戦中にしたことを認めてもらいたいと思います。」
「これらの人々の人生に、アメリカ政府だけでなく日本政府と世界の人々が、何らかの意味を与えられる人間的機会は、もうすぐ失われてしまいます。ですから第二次大戦終結50週年までのあと3ヶ月が、このストーリーが世界の人々に知られ理解される最後の機会なのです。」
11/18/07 カルロス:生還の物語 バターン死の行進と新潟捕虜収容所5-Bからの生還者であるカルロス・モントヤ氏の甥 J. L.カンクル氏は、叔父モントヤ氏の体験を綴った著書を最近出版しました。 モントヤ氏は92歳です。
本の詳細はカルロス 11/15/07 佐世保相当ダム(福岡第18捕虜収容所)捕虜慰霊碑 1941年2月 、旧海軍 は、軍港佐世保の水道として相当ダム建設を開始した。1942年10月から1944年4月の期間には、米捕虜265人が強制労働者として使われた。この捕虜たちはウェーキ島の米軍施設建設に働いていた民間人だった。彼らは、ダム建設現場に近い福岡第18捕虜収容所に収容されたが、医療の欠けた過酷な生活状況のなか、肺炎、赤痢などで53人の死者が出た。
1956年
しかし2005年、ロジャー・マンセル氏のサ イト
http://www.mansell.com/pow-index.html
により、慰霊碑の氏名が正確でないことを知る。さらに2007年6月、叔父オーヴァル・アレン・ケルソウの名が慰霊碑に加えられることを望み、バリー・ケルソウ氏が米軍基地に問い合わせて以来、エイキンス氏の調査は進展した。生存者数名の日記、米公文書館から得た日本海軍医療士官の記録などから、53名全員の正確な氏名がわかったのだ。
10月末、読売新聞九州版の記事にはじまり、11月14日には佐世保米軍基地の広報部が主催するエイキンス氏のインタビューがダムサイトで行われ、テレビ・新聞と報道が相次いでいる。メディアの取材に対し、佐世保市水道局もすでに改善を約束しており、過去の悲劇にたいし人々の暖かい善意が心通う結実をみせる日が、近いようだ。 容量40万リットルのダムは以来、市民生活に貢献している。 (伊吹由歌子) 『Stars
and Stripes』新聞記事:
10/25/07
会は Shelly & Suzanne Zimbler夫妻により開催されました。
Standing: left to right Randall Edwards, Bob Rosendahl,
Bob Brown, Erwin Johnson
Seated: left to right Roy Weaver,
Ralph Griffith, Joe Brasel, Hal Leith
10/14/07 エリック・二デロスト氏のエッセイ 死の鉄道での労働が掲載されました。泰緬鉄道で強制労働に就かされたアメリカ人捕虜、ハワード・ブルックス氏へのインタビュー記事です。 10/3/07 PBS ドキュメンタリー 「戦争」 (公式ウエブサイト: http://www.pbs.org/thewar/) PBS (アメリカの公共テレビ) は、第二次大戦を描いた14時間のドキュメンタリー「戦争」を放映しました。番組には、日本軍の捕虜と民間人捕虜の証言が含まれていました。以下は、彼らの証言の抜粋です。バターン死の行進と日本での強制労働に生き残った元捕虜グレン・フレージャー氏は、戦後苛まれた憎しみと赦しの問題について語りました。
サーシャ・ウェインツハイマーさんが、マニラのサント・トーマス民間人収容所での体験を綴った日記も、番組で紹介されました。
1月12日
ウェインツハイマーさんの日記:http://www.pbs.org/thewar/detail_5240.htm 9/10/07 写真エッセイ「 元捕虜が記憶し描く体験」を掲載しました。9/1/07 徳留絹枝の記事、「慰安婦」決議採択:米議会と日本の歴史問題 」が掲載されました。
英語版は「Japan Focus」
http://japanfocus.org/products/details/2510
で読めます。 8月31日、U S-Japan Dialogue on POWs の役員が、米下院外交委員会のトム・ラントス議長とアネット夫人を訪問しました。
8/19/07
「ソ連抑留中死亡者名簿:名簿公開を拒む日本政府に元抑留者が抗議」掲載 46,300 人のシベリア・モンゴル抑留死亡者の名簿が、日本政府ではなく元抑留者の村山常雄さん(81歳)によって収録され、自費出版されました。 ソ連抑留中死亡者名簿8/3/07 追悼
メルビン・H. ローゼン米陸軍退役大佐 (1918-2007) ローゼン大佐は、フィリピン・スカウト 野戦砲第88軍第2大隊所属の若き将校だった1942年4月9日、日本軍の捕虜となりました。バターン死の行進、オドネル・カバナツアン捕虜収容所を生き抜き、「鴨緑丸」「江の浦丸」「ブラジル丸」の3隻の地獄船で輸送されました。韓国の仁川にあった捕虜収容所で解放されたローゼン氏は、その後何年もしてから、14,500人の兵士を率いる米陸軍大佐として韓国に戻りました。ローゼン大佐は、こよなく愛するフィリピン・スカウトの伝統を大変誇りとし、その2006年度戦友会のプロ グラムに以下の文章を寄せました。敗北の中にあった勝利 バターン半島とコレヒドール島の比・米軍は、150日間もちこたえ、日本軍の太平洋全域制覇の日程を大きく狂わせた。比・米軍は、空からの援護もなく、援護部隊が来る希望も全くないまま、弾薬が尽きるまで、武器が尽きるまで、医薬品・食糧が尽きるまで、そして兵士までが尽きるまで、もちこたえた。しかしそれによって、我々がアメリカに与えたものは、アメリカがその時点で最も必要としていたもの、時間であった。 私は、バターン半島とコレヒドール島の比・米軍は、第二次大戦中最も重要な勝利の一つをアメリカにもたらしたかもしれない、と提起したい。
ローゼン大佐は2007年8月1日、逝去しました。 ローゼン大佐の捕虜体験記 7/29/07 US-Japan dialogue on POWs, Inc. アドバイザーの藤田幸久氏が参院選挙で当選
藤田氏は、2001年に朝日新聞とインターナショナル・ヘラルド・トリビューンに寄稿した意見記事で、「 和解の原点は過去の清算と正義の確立である」と書いています。
7/8/07 駒井氏は、元捕虜エリック・ロマックス氏をスコットランドに訪ね、第二次大戦中に父親がもたらした多大な苦しみに謝罪する、という長年の願いを果たしました。
駒井氏のエッセイと故ハイジンガー大佐の応答: 7/1/07 元日本軍捕虜組織 (ADBC) 幹部の「慰安婦」決議案 可決に関する声明 下院外交委員会トム・ラントス議長の決議案支援の発言 http://foreignaffairs.house.gov/press_display.asp?id=380 レスター・テニー氏とエドワード・ジャックファート氏は、以下のような声明を出しました。
6/22/07
スティール氏は、捕虜体験を描いた数々の絵で有名な画家です。US-Japan
Dialogue on POWs
ウエブサイトは、彼の作品を掲載する許可を得ました。
瀋陽大学に、『奉天捕虜収容所研究コース』が開設 歴史家のジン・ヤン氏は最近、瀋陽大学に『奉天連合軍捕虜収容所研究所』を開設し、その主任研究員として着任しました。また彼は、存命の元捕虜やその家族にインタビューすることを目的に、奉天収容所オーラルヒストリープロジェクトも開始します。
最近、元奉天捕虜とその家族が瀋陽(旧奉天)を訪問した折に、研究所の開設を記念する石碑が序幕されました。元捕虜の瀋陽訪問に関する記事は、以下のサイトで読めます。 http://www.china.org.cn/english/LivinginChina/211915.htm
5月20日には栄光学園講堂にてB29国際セミナーが開かれ日米計7人のリサーチャーによる報告と質疑がなされた。この会があることを知ったジョン・グラスマン氏は、World War II 誌6月号掲載の論文「Darkness Over Kobe」を添付メールで送ってくださり、ご厚意によって参会者にコピーが提供された。約70人の参会者にとり、刺激を受け、またさまざまに考えさせられるセミナーであった。
日米両国のリサーチャー、関心ある人々が協力し、戦時の真実を掘り起こして平和と友好の未来へつなげようとする努力を象徴するようなイヴェントとなった。
写真: 6/14/07 エッセイ 真実を客観的に、思いやりこめて告げる 掲載
『
Field of Spears: The Last Mission of the Jordan Crew
』の著者 グレゴリー・ハドリー教授が、自著について語ります。
ハドリー 6/11/07 US-Japan Dialogue on POWs, Inc. 代表の国会訪問 徳留絹枝は、河野太郎自民党衆議院議員と岡崎トミ子民主党参議院議員を訪問しました。
河野衆議院議員訪問には、サイモン・ヴィーゼンタール・センターの副所長で US-Japan Dialogue on POW, Inc. アドバイザーのエブラハム・クーパー師も同行しました。 徳留は、2007年4月のADBC総会で採択された決議案 を河野議員に手渡しました。
捕虜問題の長年の支援者である岡崎参議院議員と。 6/2/07 ウィリアム・アンダーウッド氏の論文 "Proof of POW Forced Labor for Japans Foreign Minister: The Aso Mines" がオンライン・ジャーナル「Japan Focus」に掲載されました。
http://japanfocus.org/products/details/2432
徳留絹枝のホンダ下院議員インタビュー記事の英訳も 「Japan Focus」に掲載されました。 http://japanfocus.org/products/details/2438 5/17/07
ジョー・アレグザンダー氏の捕虜体験記を追加。 アレグザンダー 5/7/07 日米大学生のPOWエッセイ追加
小林昭菜さん(法政大学大学院)
マイケル・ホンダ連邦下院議員インタビュー US-Japan Dialogue on POWs, Inc. 代表の徳留絹枝は、月刊 『論座』 にマイケル・ホンダ下院議員へのインタビュー記事を発表した。主なテーマは、ホンダ議員が下院に提出した「慰安婦」決議案だったが、記事は、同議員が捕虜問題を支援してきたことにも触れている。
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エッセイコンテスト優勝者が、元捕虜の総会に出席
US-Japan Dialogue on POWs, Inc.主催第2回POWエッセイコンテストで優勝したジェシカ・ゴードさんと杉浦 祥
さんが、ワシントンDCで開かれたAmerican
Defenders of Bataan and Corregidor の総会に出席しました。また2人は、トム・ラントス下院議員夫人のアネット・ラントスさんを訪ねました。詳細は、元捕虜の会参加報告でご覧下さい。
・・・元捕虜が求めたものは正義だけでした。それは、彼らを見捨てた者たちには、理解し難いすでに失われた概念だったのです。 私は、自分の声が続く限り、彼らの物語を語り継いでいこうと思います。 ウォレス氏のスピーチ 佐渡捕虜虐殺事件に関する論文
グレゴリー・ハドレー教授とジェームズ・オグレソープ氏による論文「MacKay's
Betrayal: Solving the Mystery of the 'Sado Island Prisoner-of-War
Massacre'」が、Journal
of Military History
に発表されました。論文とその日本語訳は、ハドレー教授のウエブサイトで読むことができます。
http://www.nuis.ac.jp/~hadley/publication/page2.html 3/27/07
2007年3月25日、ニューメキシコ州のホワイトサンズ ミサイル発射場で、第18回「バターン追悼死の行進」が開催されました。 4,000人以上の参加者が、第二次大戦中にフィリピンの防衛に就いた勇敢な兵士を称える為に、42キロ(或いは24キロの短縮コース)を走り、歩きました。
バターン死の行進の生還者を含む20人の元日本軍捕虜が、特別ゲストでした。詳細は、以下のリポートをご覧下さい。 Report
on the 18th BMDM
3/1/07 第2回エッセイコンテストの優勝者が決定しました。
"記憶するために学ぶこと" ジェシカ・ゴードさん (カールトン大学)
2人の優勝作は大学生エッセイで読めます。
リンダ・ゲッツ・ホームズ氏のエッセイを追加しました。 日本からのニュース
三輪裕児氏の名は、地獄船その他太平洋戦争の船の写実的で美しい絵を描く上田毅八郎氏のエージェントとして海外でも知られている。このほど「海の墓標;戦時下に喪われた日本の商船」(展望社)という本を出版された。一章を割いて地獄船犠牲者の凄惨な体験、遺族の悲しみが紹介されており、「捕虜 日米の対話」から、ジョンBルイス氏、ウィリアム・ボウエン氏らの記事が詳細に、またジム・エリクソン氏と三輪氏のメールのやり取りも引用されている。POW研究会の活動も紹介され、ジム・エリクソン氏のウェブサイトとの共同成果として鴨緑丸に乗り合わせた犠牲者45人の眠る場所が笹本さんにより保土ヶ谷英連邦墓地と特定された例が語られる。ヘルシップ記念碑プロジェクトへ上田氏から鴨緑丸の新しい絵が寄贈された和解へのエピソードも添えられている。 2002年いらい三輪さんはこの本と同名のサイトを立ち上げ運営してこられた。本書は豊富な知識と資料、また国境をこえる著者の当事者との交流の結実である。船にまつわる出来事、エピソードを語るという新鮮かつユニークな角度から、近代日本史の核心を展望する一幅の絵画をくりひろげた感がある。商船の発達は1854年、世界の一員として復帰した近代日本にとって必要欠くべからざる要素だった。日本の産業、工業そして近代化を可能にした船たちの物語、さらに徴用された商船が戦火に全滅し日本の敗戦にいたるまでが、魅力的に、また心にせまって語られ、読者に戦争の真実を多く伝えるだろう。上田画伯による彩色画7点、軍事葉書にこっそり描いたスケッチ数点が集録されている。上田氏自身も護衛艦の陸軍船舶砲兵であった。 (伊吹由歌子) 2/11/07 捕虜収容所の昔と今 ジョン・ルイス氏は、 日本軍の捕虜収容所があった場所や捕虜の歴史に関連の深い場所の、現在のサテライト画像を見たい人々のために、「Google Earth」(地球上のあらゆる場所のサテライト画像をみることができるプログラム)位置指標の一覧表を作成しました。米議会では最近、第二次大戦中に日系人が収容された跡地を保存し、将来の世代がそれらの場所について学ぶことができるよう、38億円の予算を計上する法律が成立しました。
そのような公的支援がない状況で、ジョンの努力は大変貴重なものです。以下はジョンとのインタビューです。 捕虜収容所のサテライト画像について(ジョン・ルイス)
さらに多くの画像が、以下のリストから見ることができます。 1/25/07
中国瀋陽(旧奉天)在住の歴史家、ヤン・ジン氏は、米海軍出版局が刊行する 「Naval History」 2007年2月号に、3人の米捕虜の悲劇的な脱走事件に関する記事を発表した。 1943年6月、Joseph B. Chastain 軍曹, Victor Paliotti 伍長, そして Ferdinand Meringolo 水兵は、ソ連に辿り着けることを期待して奉天捕虜収容所から脱走した。しかし、180キロ逃亡したところで捕まり、収容所に連れ戻された後に、3人とも処刑された。 それから60年以上が過ぎ、彼らが捕らえれた内モンゴルの村を訪ねたヤン氏は、村の住人が今もその悲劇を語り継いでいることを知る。
3人の捕虜が捕らえれた丘を村人は今も ヤン・ジン氏と故ハイジンガー海軍大佐 「アメリカ人の丘」 と呼ぶ 2005年キングストン(NY)で開かれた奉天捕虜の会で 1/15/07 米国公文書館、日本の戦争犯罪に関する資料10万ページを公開 メリーランド州カレッジ・パーク発:ナチス戦争犯罪・日本帝国政府情報公開・省庁間作業部会(IWG)は、最近機密解除された日本の戦争犯罪に関する資料10万ページが検閲可能となったことを、発表した。 IWGはその他に、研究者が太平洋戦争に関する何千もの既存・新ファイルを探し出し閲覧するのを助ける手引書として、 Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essays と electronic records finding aid を刊行した。以下は、手引書のエッセイ(頁80-84)にリストされた、捕虜に関するファイルである。
Page 81, page 82, page 83, page 84
リンダ・ダール氏が管理するサイト
JAPANESE WWII POW Camp Fukuoka #17
1/10/07
エッセイ「日本の戦後処理:もうひとつの闘い:シベリア捕虜抑留者」を追加 伊吹由歌子氏が、シベリア・モンゴル抑留者の体験と今の思いを伝えています。 1/8/07
「First Into Nagasaki: The Censored Eyewitness Dispatches on Post-Atomic Japan and its Prisoners of War」 の編集者・著者アンソニー・ウェラーは2007年1月6日、C-Span2 Book TVに出演し、この著書と彼の父親ジョージ・ウェラーについて語った。 ジョージ・ウェラーは、原爆が投下された長崎に最初に入ったアメリカ人リポーターだったが、彼の記事は検閲を通らず、掲載されることはなかった。 彼の死後1年が過ぎた2003年、息子のアンソニーが長い間失われていたその原稿を発見し、今回この本に集録した。 長崎からのリポートとは異なり、開放されたばかりの捕虜へのインタビューを基にウェラーが書いた「捕虜輸送船ヘルシップ」に関する記事は、1945年の秋に発表されており、元捕虜の間では広く知られている。C-Spanのプログラムでアンソニー・ウェラーは、大牟田の収容所にいた捕虜についても、語っている。
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