ADBC会長ラルフ・レヴェンバーグ氏インタビュー 
 

ラルフ・レヴェンバーグ氏(米空軍退役少佐)は、1979年-1980年度の全米元日本軍捕虜の会(ADBC)会長を務めました。

1994年、彼はADBCの代表として、他の旧連合国の元日本軍捕虜のグループと共に、、第二次大戦中に彼らが蒙った不正義の問題に彼らの国が取り組もうとしないことに関して、国連人権委員会に訴えました。

それは、人権委員会が以前に、第二次大戦中の日本によるアメリカ人捕虜への重大な人権侵害に関して、訴えを退けたことに基づいて、起こされたものでした。
レヴェンバーグ氏が準備した書面の抜粋

国連での彼らの訴えは再び退けられましたが、その結果、カナダ・英国・マン島・ノルウエー・オランダ・ニュージーランド・オーストラリアの旧連合国は、自国の元日本軍捕虜に対して補償しました。米国は、それをしていない唯一の国です。
 


どのような経緯で、国連人権委員会への訴えに参加することになったのですか。

国連人権委員会への訴えに関わることになったのは、私がADBCでそのような立場にいたからです。当時私は、広報を担当していて、頻繁にものを書いたり旅行したりしていました。私は、カナダの香港ベテランとして知られるグループと緊密に活動していました。そのグループは、ジュネーブの人権委員会に訴えを起こす準備をしていて、私に、ADBC代表として加わらないかと尋ねました。ADBCは、私のジュネーブへの旅行を認め、それで出かけていったのです。

ジュネーブでは、どのような活動をしたのですか。

ジュネーブに到着して落ち着いてから、私は、アメリカの国連大使であるマデリン・オルブライト氏の事務所を訪ねました。私は、政府機関に出頭する者が必ず求められる証明書を提示しました。私は、大使館のスタッフを私のプレゼンテーションに招待さえしたのです。

彼らは協力的でしたか。

アメリカ大使館のスタッフは全員、私が人権委員会に訴えに来た理由について、全く関心がないようでした。実際、私たちが発表した会議に、大使館からは誰一人出席しませんでした。彼らは、退役軍人特に元捕虜に関わることには、全く興味が無かったのです。

訴えはなぜ退けられたのだと思いますか。

私は委員会に対して、とても説得力のある発表と訴えをしたと感じました。彼らはとても友好的で協力的でした。でも、彼らは私たちの訴えをさらに取り上げることには興味がな無いようでした。実際に、私たちの事後の問い合わせに対する彼らの答えは、「人権委員会はこれらの酷い残虐行為が起こったとき、まだ存在していなかった。それ故、委員会は、これらの訴えにさらなる処置を取る権威がない」というものでした。彼らは、私たちが発表したことに、謝辞を述べました。国連人権委員会のグループは大変親切でしたが、私は彼らが私たちの訴えを「単に人権委員会を通して何かを獲得したいもう一つのグループ」としか受け止めていないように、感じました。彼らはどうでもよかったのです!

国連人権委員会でのこれらの努力が実らなかった後、他の旧連合国は、それぞれ自国の元日本軍捕虜に補償をしました。米議会にもこれまで何度か、同様の支払いを求める法案が提出されましたが、どれも成立していません。今また新しい法案が上下両院に提出されています。期待が持てますか

これまで議会で承認された補償法案は、大統領か他の行政府の高官により、政治権力の中枢にいるグループの利益にならないとして、退けられてきました。(2003年にオーリン・ハッチ上院議員が提出した法案は上下両院で承認されたが、その後取り除かれた) 私は、今回の訴えも、超有力議員の一人が立ち上がり、アメリカ政府は、元日本軍捕虜を抱える他の全ての旧連合国が既に成し遂げたことをするべきであると要求しない限り、また同じ結果に終わるような気がします。

私たちの政府は、法案が議会で承認されたのに実行に移さなかったために今でもこの問題が未解決であることを、恥じ入る必要があります。私の選挙区の議員から、今回の法案を承知していること知らせる手紙を受け取りましたが、彼らがこの法案を支持することを、望むのみです。

私たちは再びここに、元捕虜が味わった苦痛と恐怖、そして彼らが生きている限り毎日味わい続ける苦痛について、アメリカ政府が認めることを確保しようとしています。ジュネーブでの発表を私は以下の言葉で終えました。「日本軍捕虜としての経験ゆえに、私たちは二度と元の自分を取り戻すことはできないのです。」

                                                                                             (interview by Kinue Tokudome)