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三輪祐児さんと伊吹十之・由歌子は最近フィリピンへの短い旅をした。太平洋戦争のバターン攻防戦、また日本による米捕虜の扱いについてもっと知り、未来を考えるよすがとしたかった。当初の計画ではマリヴェリス、サマット山地域で1日を過ごし、バターン死の行進ルートの一部も歩いてみたかった。しかし初日に起きた成田空港での事故により最初の30時間がカットされた。それでも受け入れ側友人たちの絶大な助力により、2日半の旅は十分に充実したときとなった。3月24日、20時マニラ着、スビックのケヴィン・ハムドルフ氏の指示を電話で仰ぎながら夜行バスでオロンガポへ。タクシーでスビック特別市にある地元での呼び名「ベース」内のホテルに深夜無事到着した。 2009年3月25日 ケヴィンとその友人たちと朝食で落合い、ケヴィンの車で行動開始してまずヘルシップ記念碑へ。2006年 1月 23日の除幕式を想い、水底に沈んだ愛するものたちを憶えてたたずむ。碑への上がり口に愛らしい花々が咲き、円形の碑の周囲をかこむ低い壁にはすでにいくつかのメモリアル碑文が嵌め込まれ、ご遺族、部隊名と彼らの想いが刻まれている。デュエイン・ハイジンガー氏の大きな存在はいま地上を離れた。広やかな心で美しい祈りを捧げてくださった当時90歳のジェイムズ・ロイター神父は、とても嬉しいことにいまもマニラでお元気に活動を続けておられるそうだ。(当サイト関連記事)
「戦時下に喪われた日本の商船」主宰: http://homepage2.nifty.com/i-museum/ 著書「海の墓標」の7章では当サイトの鴨緑丸・阿利山丸遺族の手記を引用している: John B Lewis: http://www.us-japandialogueonpows.org/Lewis-J.htm William Bowen : http://www.us-japandialogueonpows.org/essays/Bowen.jp
円形の碑への入口に咲く花 碑文のひとつ
「ベース」はフリーポートで関税のかからない貿易ができるが、出入りには許可が必要で市警察の検問ゲートがある。ケヴィンの車は緑の多い海沿いの道をえらんでサマット山へ向かったが、結局これは断念し、高速道路でカブカベンへ。1942年4月9日にいたる日本軍バターン攻略当時、米軍第2陸軍病院のあったあたりなどをケヴィンが回ってくれたあと、コレヒドールのスティーヴ・クイチンスキー氏に手配をお願いしたバンカで彼の迎えを受け、カブカベンを出発した。快適な30分の船旅だった。
父のライセンス・プレートの付けられたスティーヴのジープとウェイ砲台の碑文 スティーヴが脱稿した父上の体験記の発刊が待たれるが、彼は優れた知識とガイド能力を見込まれ、聡明で美しいマーシャ夫人と共に2008年10月からコレヒドールに常駐しガイド活動をしている。彼らのニュースレターは冒険、自然、国境をこえた交流が満載されており、購読希望者はコンタクトをしてください: steveontherock@gmail.com 日本軍に関する戦中、戦後の事実も含め、日本からの私たち3人も彼により多くを学んだ。
ヒルトップのマッカーサー兵舎 その時空に現れたもやの季節の太陽と虹
フィリピン・メモリアルにて 海べりに残る震洋隊 洞窟 マニラ:3月28日
ロンさんとコレヒドール・イン前で 3人の短い滞在をとおし、私はその後パナイの四日間をふくめ、すべてを素晴らしい体験としてくれた米比豪の新旧の友人たちとの交流にこころから感謝する。よりよき対話の進展のために、私たち3人は心からの願いとして、日本政府が米捕虜とその家族にも手を差し伸べ、1995年発足した英蘭豪元捕虜への「平和友好交流計画」に彼らをも含めることを強く希望する。(レスター・テニー博士オバマ大統領への手紙) 三輪祐児・伊吹十之両氏とともに 伊吹由歌子
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