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バタアンの望みなきゴースト・ソルジャーズ救出
作者・演技者:アンソニー・ゼンデヤス
語り手:(ラジオ・アナウンサーの位置)(オーバーと帽子をつけている)
1941年12月7日および8日
日本帝国は真珠湾、マレー、香港、グアム、フィリピン諸島、ウェーキ島そしてミッドウェイ島攻撃を開始した
これは日本にたいする全面戦争の始まりだった。
12月23日マッカーサー元帥はマニラの明け渡し、部隊のバタアンへの撤退を命じた。フィリピンに勝利の望みはなく、ルーズヴェルト大統領はマッカーサーにオーストラリアへの出発を命じる。
1942年4月9日、エドワード・キング将軍によりバタアンは降伏する。
(コート・帽子をとる)
捕虜マルコム・エイモス(マットに座り、観衆に向き合う)(白衣)
お前さんもここにいるのかい?奴らにつかまって?バタアン防衛戦最後の日からもうそろそろ3年だな。///あの死の行進では、空気は死体の腐る臭いとゲロの臭いでいっぱいだった。一方では弱ってもう歩けないものが撃たれたり/
銃剣で刺され/
戦車にひかれ/
首をはねられるものいた。///俺たちは骸骨か、歩くかかしみたいになって、つまづき、倒れ、食べ物も水もほとんどないまま、よたよたと歩いていった。///
この収容所にあるのはね、恐怖、拷問、そして飢えだ。俺は兄弟たちがあらゆる病気、食べ物の不足で死ぬのを見てきた。くそっ、ただあきらめちゃった奴もいた。でも
俺は違う。マラリヤ、赤痢、それにデング熱にもやられたよ。ゼロ病棟と呼ばれてる死への待合室でね、医者がひ素を4服くれたよ。
奴は俺がどっちみち死ぬと思ってた。でも奇跡的に俺は生きた。
俺はこの場所から生きて出てやる。あの死の行進の70マイルを生抜いたんだから、ここでもやるさ。俺を殺そうっても簡単じゃないぜ、俺は生抜く決心をしてるんだから。
(うんざりして鼻をならす)今日はよ、墓穴を十個ほったぜ。明日はよ、犬が掘り出して蹴散らかした兄弟たちの骨を集めて、俺がまた埋めてやる。あいつらの尊厳を、誰か、まもってやらなくちゃならねぇ!!
俺の戦友、マニー・ロウトン。ウィリアム・ホグブーム。
レオン・レスナー。それにクラレンス・ホワイト。あいつら、明日、日本へゆく最終輸送船、鴨緑丸の乗船者名簿にのってるよ。ここに残ってるのは、体調や怪我で長旅できないものたちだけさ。
マニー・ロウトン(はしごの下で)(地獄船、鴨緑丸の船倉のなか)
1600人がひとりづつ、この船の船倉へと、狭いはしごをおりたんだ。監視員たちはののしり、箒の柄やライフルの台尻でなぐりながら俺たちをここへ詰めこみやがった。空気の温度があがってゆだりそうだったぜ。汗かいて体から湯気がたった。のどがかわいて、恐ろしくて、もうたまらなかったさ。パニクッた叫びが船倉からあがり、悲鳴、息のつまった奴らのうめき声がよどんだ空気のなかにこだました。
(悲痛なパニックの叫び声)
みんな死んじまう!ここから出してくれ!助けて!たすけて!息ができない!水をくれ!くうきだ!みずを!ああぁあああ!
日本人監視は黙らなかったら撃つぞ、とおどかした。でも奴のおどしなんか閉所恐怖で気が変になったものの耳に届くわけがない。このとき、フランク・ブリジェットが立ち上がった。彼はこの船倉にいたものたちの司令官ではなかったんだが。// 絶え間ない騒音のなかに彼の声がきこえた。
フランク・ブリジェット司令官(はしごを上る)(しっかりしたなだめるような声で話す)
「皆さん、おちつかなくてはいけない。ひとりづつが落ちついて静かにすれば、全員がよくなる。動けば動くほど、よけいな精力をつかうことになるんだぞ。それでは弱ってしまう。話して叫ぶほど、よけいに酸素をつかってしまう。そうなると皆が苦しい。」
「よく聞いてくれ!。。一番端にいるものたちが息がつまっている!シャツをぬいで彼らのほうへあおいでやってくれ。」そうだ、それでいい。。。つづけよう。
はしごのてっぺんを見上げる。。これで殺されるかもしれないが、やらなくてはならん。
和田さん、いまお話をしにあがっていきますよ、和田さん。空気不足でこの下にいるものたちが死にそうです。すぐ手を打たないと全員が死ぬでしょう。一番重症のものたちをしばらくデッキに置かせてください。そうすれば息を吹き返すでしょう。それから、私たちは水がいります、和田さん、水です。そうです、和田さん。(頭を下げる)有難うございます。
マニー・ロウトン:(肩越しにながめやる)
あの瞬間、フランク・ブリジェットはすごいことをやった。。。どうしてあんなに冷静でいられたか、わからない。でもこれは確かだ。。。彼の声で俺たちは助かったんだ。/////
俺たちがスビック湾を出るまでに、船はアメリカ軍戦闘機に爆撃されて、ビリー・ホグブウムや300人が死んだ///。俺たちは江之浦丸に移されたが、これも台湾でアメリカ軍戦闘機に爆撃された。さらに250人の捕虜が死んで/ クラレンス・ホワイトも/ やられた。俺たちはこっぱみじんの船にもう数日いてからやっと、ブラジル丸へ移された。それからひどく
寒いシナ海を航海していった。肺炎や赤痢でとても大勢が死ぬのを、おれは見た。死体は船内の仕切り壁のところに丸太みたいに積み上げた。// ブリジェット司令官もこの三番目の地獄船で亡くなった。////日本で奴隷労働の収容所へ向けて1600人がこの船旅をはじめたが、そのうち375人だけが生き残った。/// 俺たちは日本の門司港に着いた。1945年1月30日だった。
カバナツアン収容所を出ないでいられたら、と思うよ。
プリンス大尉(緑のシャツと帽子)
よし、レインジャーズ、プリンス大尉だ!休め。いま大佐から命令を受けた。
ムッチ大佐によるとカバナツアン収容所には500人の捕虜がいる。多くは栄養失調か骨と皮ばかりだ。かれらを救出せよと命令を受けた。バタアンの生存者もいる。パラワン島では112人の捕虜が日本軍によって焼き殺された。二度とおなじことをさせてはならない。これはゲームではない。生きて戻れない者も多くでるだろう!!!
志願者だけにしてもらいたい。
私がいまから後ろを向くが襲撃に行きたいものは一歩前へ出ろ。
(後ろを向き、5秒待つ。向き直りすこし驚く)
(集まっている兵士たちを畏敬の念で眺めやる)
よし!全員俺といっしょだな、しかし、ムッチ大佐の命令により全員まず教会へ行って祈り、神のまえで誓うのだ。あの捕虜たちを助け出す、でなければそうつとめながら死ぬ、と。
我々はこれから敵地を30マイル奥へはいる。アラモ・スカウツとフィリピン・ゲリラ隊が俺たちを先導する。1月28日に出発の予定だ。
この地図に抵抗に会いそうな地域が示してある。一番の難関は最後800ヤード、収容所を囲んでいる広くて稲を刈り取った田んぼだ。
陽動作戦として、「黒衣の未亡人」という異名をとる米戦闘機
P-61を使うのがこの作戦の重要部分である。我々のユニフォームはカーキでなく、眼につかぬよう緑になっているのを覚えておくように。
解放された捕虜:(マットから歩みでる)
信じられるか?俺たち自由だ!自由なんだ!
もしこれがみんな夢なら起こさないでくれ!
1945年1月30日。これから一生、この日を覚えておくぞ。
俺が生まれ変わった日なんだぞ。
最初に銃声を聞いたときは震え上がった。日本軍が俺たちを殺しにきたと思ったさ。いたるとこで、機関銃が火を噴いていた。そのとき俺は兵士にぶつかった、緑の服をきた巨人みたいな奴が、信じられないくらいかっこよく冷静に歩いてる。奴が一方向に発砲してるので、
俺は別方向へ行こうとした。そしたら/// やつが俺をなぐってしりもちをつかせた。そして言うんだ「あっちへ行ってどうするんだ?殺されたいのか!」////// そこで俺は考えた、なんてこった、こいつ英語をしゃべってる。「お前はいったい誰なんだ?」
彼は米レインジャー部隊のマーフィー軍曹と言った!// 正門へ行け!あの方角へ行くんだ。誰でもあったらな、俺についてこいと言え。。。アメリカ軍が来たんだぞ!
そこで俺は仲間をとっつかまえては叫びはじめた。
「アメリカ軍がきたぞ!アメリカ軍が来た!出てこい!俺たち自由だ!俺たち自由だ!////アメリカ軍が来たぞ!////
収容所をまっさきに出たのが俺だった。////
ムッチ大佐、プリンス大尉、ウアオ!このレインジャーズは俺のヒーローだ。俺を救うために彼らは立ち上がり命をはってくれた。いつまでも感謝してる。自分を忘れられた幽霊だ、と思っていたんだが、いまではみんなが俺を英雄という。
うちへ帰るのが楽しみだ、/////だけど戦友をなくしたのが悲しくて嬉しさとまざってる。この土に何千人もを永遠に残してゆくことも考えるとな。
(思いにふけりつつマットから歩み去る)(壁をつきやぶる)
アンソニー:
61年後:元捕虜マルコム・エイモスが僕に言った「なぁ君、自由ほど味のいいものはこの世にないぞ。」
レインジャー指揮者 プリンス大尉は言った「このひとたちに人生第二のチャンスを与える手伝いができたことが嬉しいんだ。」
元捕虜ジョセフ・カッシンはとてもあっさりと言った「僕は本当のサヴァイヴァーだ。」
このパフォーマンスをバタアンの生存者と犠牲者から引き継いだ遺産を持ち続けるため、そして彼らの救出に命をかけた人たちににささげます。
バタアンとコレヒドールのゴースト・ソルジャーズのみなさん、ここに立ち敬意をこめて挨拶をおくります。
*アンソニーは、ワシントン州の歴史プロジェクト・コンテストで4位を獲得しました。
アンソニーからウエブサイトへのメッセージ
日本の人々に語りかけることができるなんて、とても嬉しです。プリンス大尉にお目にかかり、多くの元捕虜の方々と電話で話せたことは、名誉なことでした。皆さんは僕にとても親切にして下さり、彼らの物語を立派に伝えることが、僕の務めだという気持ちになりました。僕は、このプロジェクトがどんなコンテストに出るより、さらに大きな意味をもっていることを知っていま
すし、これからもこの独り芝居を多くの人の前で演じていきたいと思っています。僕がしたことがよい影響をもたらすことを、願っています。こんな物凄いプロジェクトに取り組めるとは、夢にも思わなかったけど、僕は本当に多くのことを学び、彼らの物語が忘れ去られて欲しくないと思っているのです。僕のため、そして捕虜のために、この機会を下さってありがとうございま
した。
本当にありがとう。アンソニー
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