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地獄船追悼碑 碑文
2006年1月22日フィリピン・スービック湾に建立
この追悼碑は、第二次大戦中に日本軍の捕虜となり、恐るべき”地獄船”に詰め込まれ、工場・埠頭・鉱山などで日本の戦争遂行を支える奴隷労働者として働くため、アジア全域に輸送された何千人もの連合軍捕虜に敬意を表する。 幾千人もの男たちがこれらの船で運ばれ、そのうち何千人もが殺戮・飢餓・病・放置などで、或いは無標識の船に捕虜が乗船していることを知らずになされた友軍の攻撃により、死んでいった。 これらの英雄は、異なる祖国・異なる経歴・そして異なる状況から捕虜となったのだが、彼らは、自由を愛するこころと祖国を守るための献身を、共有していた。 数多くの命が何の目的も理由もなく失われた地獄船は、疑いもなく、第二次大戦におけるもっとも無意味な残虐行為の一つであった。 -------------------------------------------------- 連合国の領地が陥落してわずか数ヶ月後の1942年春という早い時期から、日本軍は、タイ・台湾・ビルマ・中国・朝鮮・そして日本本土で奴隷労働者として使用するため、捕虜を占領地から海上移送し始めていた。 千人あるいはそれ以上の男たちが貨物船倉に押し込まれ、多くの場合、何週間も続く航海を通して、立っているのがやっとの空間しか与えられなかった。熱気が充満し、臭いは耐えれらないものだった。 最低限の衛生・医療の供給さえ拒まれた。数年に及ぶ捕虜収容所暮らしで既に衰弱し疾病に苦しんでいた捕虜の何百人もが、息絶えた。さらに何百人もが発狂した。 これらの非人道的状況をさらに悪化させたのは、日本人監視員の極端な残虐さだった。想像を絶する地獄船の悪夢を生き残った者たちは一様に、その体験を、彼らの戦時捕囚体験を通して最も恐るべき一章であったと、説明する。 -------------------------------------- 連合軍の上陸が迫った太平洋戦争最後の数ヶ月、日本軍は地獄船による捕虜の輸送を急いだ。日本の武器輸送船が赤十字の標識を付ける一方で、捕虜を運ぶ船は意図的に無標識とされ、それを知らない連合軍の飛行機や潜水艦からの攻撃を受けた。10数隻の地獄船が攻撃され、何百人も の連合軍捕虜が殺された。 それから半世紀以上が過ぎた今、これらの男の多くは、墓石も墓標もない海底でその遺体を引き上げられることもなく、眠っている。ここに建てられるのが、彼らに捧げられる唯一の追悼碑である。 日本軍は、捕虜に対して数知れぬ虐待行為を行った。しかし、彼らを無標識の捕虜船で輸送し連合軍の攻撃に晒したことは、理解を超える行為である。 --------------------------------------------------- この追悼碑は、これらの英雄が払った類いまれな犠牲を発見するに違いない将来の世代が、静かに瞑想する場所を提供するであろう。彼らが立派な模範から啓示を受けるだけでなく、戦争のない世界への 、絶えることない希望を再主張するように。 地獄船追悼碑は、忍び寄る独りよがりと忘却の流れに毅然と逆らう碇として、希望の言葉を永久に語り続ける。
この追悼碑は、元日本軍捕虜と、捕虜として死んだ者或いは果てしない悪夢を生き延びた捕虜の家族と友人により建設され、支えられる。
地獄船追悼碑に関する詳細は http://www.hellshipsmemorial.org/ ジェームス・ロイター神父による祈り 2006年 1月22日 スービック湾
あるものは輸送船の船倉で亡くなり
神の御子は愛する子たちすべてのために
アメリカ人たちは祖国を守ろうと
ここで死んだ日本兵たちは
世界の歴史にのこる悲劇のひとときでした。
主なる神よ、私たちの知力とこころにふれてください。
大司教のしもべの耳を切り落としたペテロに
私たちはみな知っている
煙がやがておさまる頃
主よ、あなたは私たちすべてを子として造られた
私たちをへだてる壁
キリスト教世界のあらゆる派のあいだに
みことばの知恵を理解する
お互いがそのように生きる知恵を授けてください
あなたの恩寵のうちに いつもそのように生き
ロイター神父は戦時中、ロスバニョス民間人収容所に収容され、親しい友人を地獄船で亡くしています。
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