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2011年2月26日 ミネタ長官 拝啓 「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会:次世代の会( Descendants Group, an Auxiliary of the American Defenders of Bataan and Corregidor (ADBC) は、第二次大戦中に日本帝国軍に捕われた者達の子孫と友人達で構成される団体です。私達の目的は教育です。 私達は、米国に高速鉄道を建設するための貴方の努力を理解しますが、この機会に、それらの契約に入札しようとしている日本企業に、人間の良識が求める当然の要求…第二次大戦中にアメリカ人捕虜を奴隷労働者として使ったことを認め、生存する元捕虜に謝罪をする…に応えるよう、働きかけて下さるようお願いします。 第二次大戦中、軍人と民間人を含む約27,000人のアメリカ人が捕虜として日本に拘束されました。そのうち4割が、捕われの身で死んで行きました。それらの多くの死、特に最初の数ヶ月の死は、日本軍による残虐な取扱と故意に為されたネグレクトによって起こったことでした。 22,000人近くのアメリカ人がフィリピンで捕われました。悪名高い「バターン死の行進」、残酷な労働、オドネル・カバナツアン両収容所の劣悪さが、1942年の終わりまでに4,500人の米捕虜の死をもたらしました。しかし、捕虜の虐待と死に関する日本企業の責任は、1942年半ばに日本政府が捕虜を強制労働者として使うことを決定し、日本企業がそれを全面的に支持したことにより始まりました。この決定により、捕虜を日本国内や占領地の工場に海上輸送する必要が生じました。 元捕虜の殆どが、「地獄船」での航海を、彼らの長い拘束中で最もつらい出来事であったと回想しています。貨物船のうだるように暑くて暗い船倉に、体と体が触れるほど詰め込まれ、捕虜たちは、食べ物も水もごく僅かしか与えられずに苦しみました。彼らは、日本軍から与えられた小さな容器から溢れた筆舌に尽くしがたい排泄物にまみれながら、飲食と睡眠を取ることを強いられました。食糧の不足・餓え・下痢・そして他の疫病が、地獄船上の何百人ものアメリカ人の命を奪い、生き延びた者も衰弱が激しく、目的地に着いて遭遇した厳しい環境の中で死んで行きました。さらに大きな犠牲を生む結果となったのは、捕虜を輸送する貨物船に(捕虜輸送中の)印を付けなかったためで、そのために何隻かの船が米潜水艦や爆撃機からの攻撃により沈没しました。フィリピンから日本と満州に奴隷労働者として輸送された14,750人の米捕虜のうち、3,540人以上が輸送中に死亡しました。地獄船上での恐ろしい状況に関しては、日本軍に主な責任がありますが、捕虜たちがこれらの船に乗せられた理由は、日本企業の工場や炭鉱や埠頭で奴隷労働に就かせられるためだったのです。 地獄船での航海に生き残り日本や満州に辿りついた11,500人のフィリピンからの捕虜は、よりよい食べ物と取扱いと労働環境を約束されていました。彼らが発見したのは、壊れそうな吹きっさらしの住居、薄っぺらな毛布、ほとんどない暖房、わずかばかりの食事、そして限りなく厳しい労働環境でした。頑強な者でもやっと持ちこたえれるような環境は、地獄船で極限まで弱りきった捕虜たちには致命的でした。日本と満州で死んだフィリピンからの捕虜の半数近い600人は、それらの地に着いて最初の10週間で死んでいったのです。 生き残った者達は、戦前は危険で閉鎖されていたような企業所有の鉱山で、素手で大量の石炭や銅の原石を掘る苛酷な労働に従事しました。 彼らは、わずかばかりの防御服や道具を身に付けただけで、精錬所や溶鉱炉で長時間の作業に就かされました。ある者は化学工場や製鉄所で働き、ある者は船の荷積みや荷卸しをしました。彼らは、自国の兵に対して使用される戦争物資の生産・輸送・荷積卸しを強いられました。捕虜達はこれらの全ての仕事を通して、厳しい規則や虐待に晒され、企業の従業員から殴打されて手足や背中や頭蓋骨に傷を負いました。労働と虐待は、何百人もの捕虜を死に追いやり、生き残った捕虜を生涯苛むことになる目に見える傷と目に見えない傷を残しました。わずかばかりの賃金を貰えた者も、彼らが使うことのできないそして戦後も引き出すことができなかった“貯金”に差し引かれ、また他の捕虜は全く無給のまま働かされました。 日本政府は2010年、戦時中に酷使し虐待したことに対して、やっとアメリカ人捕虜に謝罪しました。日本企業も同じ行動を起こすべきです。私達は、貴方の影響力を行使し、アメリカ人を奴隷労働者として使った企業にその事実を認めるよう、促して下さることをお願いします。私達は、それらの企業が、捕虜労働者を酷使し地獄船の悪夢に加担したことに謝罪するよう望みます。サンフランシスコ平和条約により、日本企業は捕虜に補償をすることからは免れていますが、彼らの歴史と責任を否定する言い訳に条約を使うことは、道徳的に卑怯です。(捕虜虐待の)歴史は議論の余地がない事実なのです。それを認めることは全く正しい行動です。 さらなる情報や援助が必要な場合は、どうぞお知らせ下さい。 敬具
Jan
Thompson Board
Members:
Nancy Kragh |