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エブラハム・クーパー
もどかしく屈辱的な沈黙の年月がたった後、元捕虜たちは、ナチのホロコースト犠牲者のために欧州の保険会社・銀行・大企業を相手どって起こされた集団訴訟の先例に倣い, 法廷に訴えて正義を求める事にした。 カリフォリニア州は1999年、日本軍に捕らわれた捕虜が、彼らを捕らえていた者に対し戦時奴隷労働への補償を求める訴訟を可能にする法を制定した。30件以上の訴えが三井、三菱を含む日本の大企業を相手どって起こされた。5年近く長引いた末、全ての訴えは2004年に棄却された。最終的に、1951年に日米で交わした平和条約が元捕虜達のいかなる訴えをも締め出す、との裁定がされたのだ。 しかしその棄却文に主任判事は、日本軍の捕虜達の犠牲は明快な形で認識されるべきだと書いた。実際のところ、元捕虜である原告の多くがこの訴訟は金銭のためではない、問題は責任と名誉にあると明言していた。彼らは、人道に反する扱いをした者たちがその責任を認め、この悲劇の歴史に両者にとって名誉ある終幕をひくことを願っていたのだ。 2003年の春、東京で、私たちはレスター・テニー博士が数人の国会議員に語りかける場に居合わせ、彼のことばを聴いた。博士は「バターン死の行進」と三井炭鉱での3年の奴隷労働の体験者である。彼は言った。「日本軍による強制労働生存者たちの多くは、赦すことは難しい思いでいます。彼らが赦すには、痛めつけた側による過去の認識、良心の呵責、補償が必要なのです。私も彼らと同じ気持で、自分の拷問者であったこの素晴らしい国の巨大企業に向かい、悪いことをしたと認め、人道にはずれた行いがあったことを認証し、名誉ある仕方で責任をとっていただきたいと、お願いしています。」 60年は、謝罪のことばを待ち続ける者にはあまりにも長い年月だ。けれど、第二次大戦のA級戦犯が祀られる神社への参拝を強行する今日の指導者たちが、一瞬倫理感覚を澄ませて、テニー博士とその死せる戦友の存在をはっきり認め頭を下げるならば、これから生まれる日本人次世代のより確かな安寧につながるだろう。
エブラハム・クーパー師は、人権擁護団体「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」副会長
徳留絹枝は、カリフォルニア州非営利団体「US-JAPAN
DIALOGUE ON POWS, INC.」
代表
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