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元日本軍民間人捕虜 『子供捕虜-サバイバルの回想録』
”アリスのフィリピン休暇の不運な物語は、彼女と母親のノニーが、3カ国で捕虜として生き延びた4年間の闘争について描いている。死と圧倒的な邪悪に面した彼らの正気を保たせたものは、彼らの精神的強さと生きるための戦いだった。” http://www.amazon.com/Child-POW-L-Finch/dp/1599770083 現在この著書は、真珠湾攻撃70周年にあたる2011年12月7日の上映に向けて映画化が進んでいると言われています。 しかし、第二次大戦時の日本軍の民間人捕虜の歴史に詳しい人々の多くは、その生還者も含め、この著書の信憑性に重大な疑問を呈しています。彼らは、正確な歴史の伝承にこの本が著しく有害であると、強い憂慮を表明しています。
以下は、フィリピンと第二次大戦に関して頻繁に論評している元米国外交官マイク・ハウラハン氏が、この本に記載された誤った記述の幾つかをリストしたものです。 フィンチは、彼らがフィリピン内の複数の収容所(それらのほとんどは存在した記録がないのだが)を移動した後中国の福州(錫鉱山で労働)に送られ、さらに日本の福岡、そしてマニラに戻され、また日本(神戸)に送られ、最後は日本からオーストラリア経由でアメリカに帰還したと、主張している。 これほど移動させられた捕虜がいたという記録は見当たらない。さらには、フィリピンで捕らえられた民間人は、通常、マニラのサント・トマス大学、ロス・バニョスのフィリピン大学、そしてバギオの三箇所にあった収容所のいづれかに連行され、戦争期間中を通してそこに抑留されたのだ。
フィンチは10章で、フィリピンで彼らが幽閉されていた無名の収容所の所長のことを書いている。その人物はバラを育てるのが趣味で、定期的に捕虜の首を刎ねてはその血をバラに浴びせかけ、その様子を見ることを他の捕虜に強要していたという。 フィンチはまた、捕虜が木造の建物に打ち付けられ、ガソリンをかけられた後に火をつけられた処刑の様子を描いている。(p. 125). これら二つの処刑は、日本が関わった虐待の記録のどこにも出てこない。
フィンチはさらに、この収容所所長が戦後 “億万長者”
となり、日本の国会議員になったと断言している。そして、“新しい日本を治めていく者たちを必要とした”
米国政府は、彼を訴追から庇護したというのだ。彼女は、マッカーサー将軍がこの人物を、“マッカーサーが設立を支援した大電子企業のアメリカ社長”に据えた、と主張する。 マッカーサー将軍と米国政府に対するこれらの告発を裏付ける、いかなる証拠も提示されておらず、この日本人の名前も、彼が社長であったとフィンチが主張する会社の名前も、本では明かされていない。 13章には、フィンチのさらに深刻な作り話が出てくる。ここで彼女は、コレヒドール陥落の後、日本軍がマリンタトンネル内の野戦病院に暴れ込み、 “そこで出くわした負傷兵、看護婦、医師や外科医を一人残らず無慈悲に撃ち殺した” と断言している。 このような虐殺事件は全く起こらなかったし、フィリピン・米軍がその1ヶ月前に降伏した時も、バターン半島にあった二つの大きな野戦病院で、負傷者と医療関係者が殺害されるということは無かった。実際、百人のアメリカ軍看護婦は全員が戦争を生き延びている。 フィンチは18章で、オーストラリア人の友人“親愛なるレニー”が1943年の2月初旬、日本の福岡で、彼女と彼女の母親の目の前で何の理由もなく首を刎ねられたと書いている。 この斬首の説明に付属する写真が198ページに出ている。その写真の下部には、オーストラリア戦争博物館のウエブサイト・アドレス(www.awm.gov.au) へのリンクがあるが、サイトではこの有名な写真が、1943年10月24日ニューギニアのアイタペで、他のオーストラリア兵2名と共に斬首されたレオナード・ジョージ・シフリート軍曹のものであると、確認している。 ハウラハン氏は、彼の憂慮を以下のように表明しています。
この本で彼女が第二次大戦中に日本がしたと陳述した事柄は、必ずやアメリカ国内の怒りを促すでしょう。私は、日本が軍人捕虜や民間人捕虜を虐待したことはなかった、と言おうとしているのではありません。しかし、この本の中に描かれている“事件”の多くは、実際には起こっていないのです。でも普通の読者や平均的な映画鑑賞家は、たぶんそれらを信じるでしょう。さらにはこの本は、日本人と日本文化に対する憎悪と侮辱を露にしています。これはフェアではなく有害なことです。 子供時代の体験が、2007年の米公共放送テレビ(PBS)ドキュメンタリー 「The War」で紹介されたサーシャ・ジャンセンさんは、元日本軍民間人捕虜の団体(BACEPOW)の副会長を務めているが、次のように発言しています。 フィンチは、バギオにあった日本人高級将校保養所のための売春宿で、8歳の被害者として過ごした恐ろしい日々のことを、読者に訴えます。彼女は、殴打され、体を火のついた煙草で焼かれ、性的変態者に晒されたと 言います。そして彼女は、「その仕事は退屈だった」とぶっきらぼうに宣言しているのです。 これは本当とは思えません。私自身詳しい調査やインタビューをしてみましたが、高級将校保養所のためのそのような施設はありませんでした。 フィンチは、悪質で間違った歴史を露骨に記述しながら、第二次大戦の歴史や捕虜体験を研究する私たちが、それらに関して調べるために必要な出典を、全く明らかにしていないのです。
フィリピンのサント・トマス収容所に抑留された元民間人捕虜として、著者フィンチに、そして粉飾と嘘と誇張に満ちた彼女の恥ずべき回想録に、憤りを覚えます。彼女の物語は、日本軍の本当の捕虜だった者たちの体験と苦難の価値を落としめ、真実の歴史を、真実と混同させるような虚偽の証言であざ笑うものです。 BACEPOW 会長のアンガス・ロレンゼン氏は、言います。
私たちの団体(BACEPOW)が目指すことの一つは、第二次大戦中の東アジアで日本軍に収容された者たちに関する正確で事実に沿った歴史を守り伝えることです。辛い体験をした私たちにとって、それらの歴史が作り変えられたり歪曲されたりしないことは、とても重要です。私たちは、本や映画やドキュメンタリーなどが、私たちの子孫や正当な研究をしようとする人々に、正当な歴史的基盤を提供する正確なものであることを確認するため、努力しています。残念ながら、A.L.フィンチの『子供捕虜』は、作者自身の体験に関して、歴史記録と全く矛盾する話を作り上げたとんでもない例です。BACEPOWは、この作り話が映画化されて私たちの体験を汚すことを防ぐため、積極的に活動していきます。 (ロレンゼン氏の民間人捕虜験記)
日本政府は、日本軍の民間人捕虜だったオランダの人々が彼らの物語を保存し伝承する努力を支援しました。しかしアメリカの元民間人捕虜には、今日に至るまで同様な支援は提供されていません。
真実の歴史の保護という極めて重要な米元民間人捕虜の取組みを、日本政府が、オランダの人々を支援したように、直ちに支援することが望まれます。 -- 徳留絹枝 (ロレンゼン氏、ジャンセンさんと、写真:ルー・ゴパール氏) 2010年6月25日掲載 *BACEOPOW's website: http://bacepow.net/index.htm *Ms. Sascha Jansen can be reached at Mabuhayma@aol.com
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