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勇気ある人:「バターン死の行進」生還者の信仰 「クラレンス・ブラムレーは稀有な人物である」と著者のウィリアム・T ガーナー氏は書く。「彼は、近代史上最も残酷な行為を目撃し、また被害者でもあった。しかし彼の客観性と信仰は失われることがなかった。むしろ反対であった。」 「バターン死の行進」に関してはこれまで多くの本が書かれているが、恐怖の行進を体験した果敢な男の深い信仰を描いた本は多くない。クラレンス・ブラムレーはその生還者の一人である。長身で痩せ型の彼は第二次大戦中、P-40戦闘機のパイロットになることを夢見て、米陸軍航空隊に志願した。しかし戦争の現実は往々にして若者の夢を打ち砕くものだ。パイロット試験の結果を待つ間、彼の中隊はフィリピンに送られ、そこで彼は自分が乗りたかった飛行機の整備の任務に就くことになった。そして1942年春、フィリピインは日本軍の手に堕ちた。 ブラムレーはその後の数年で、残酷な死の行進、フィリピンと台湾での収容、地獄船での悪夢のような数週間、そして日本の小坂捕虜収容所での強制労働を体験した。彼は疫病や残虐行為に苦しみ、親しい友人と仲間が苦しみながら死んでいくのを目撃した。しかし彼は決して神への信仰を失わなかった。 広島と長崎に原爆が投下されて数週間後、ブラムレーは、まもなく救出される小坂の捕虜たちのために米軍のB-29が食糧や支援物資を投下するのを見て、感動した。その記念すべき日を祝うため、ブラムレーと仲間は星条旗を作り、弱った捕虜達を元気付けた。 ブラムレーは生還し、ジャーナリストのトム・ブロコーが”偉大な世代”と呼ぶ“より強くよい世界を築くために努力した人々”に加わったが、彼は、何年もの悲惨な収容生活に耐えることができた強さは、彼の家族と祖国への愛、そして信仰が与えてくれたと言う。 1945年、彼は両親に次のように書いた。 「私は、あなた方が私を育ててくれたことに衷心より感謝致します。このご恩をお返しすることは決してできませんが、あなた方が私になって欲しいと望んだ人間になる強さを持てるよう、精一杯祈っています。私は、キリストの知恵がもたらす癒しと安らぎ、そして幸福を、神に感謝します。私は、これらの苦難の時を通じて私自身と仲間の上に注がれたみ加護と導きと数え切れない祝福に、感謝します」
秋田県小坂捕虜収容所で解放された捕虜たち 星条旗を縫う (クラレンスは、1945年9月6日の日記に次のように書いています。) 僕達の何人かは、(日本の降伏署名式)の日に、星条旗を収容所に掲げるべきだと決めた。夕食後に、飛行機からの補給品投下に使われた色つきのパラシュートを使って、製作にとりかかった。四人が星と線をせっせと切り抜き、僕がそれらを縫い合わせていった。夜通し働き、僕が最後の縁を縫い終わり紐を結んだ時は、起床ラッパが鳴る直前だった。旗を作れて本当に嬉しかった。 将兵は何年もの戦闘・捕虜体験で、精神が強張っていた。しかしほとんどの者が、星条旗が翻るのを見て、喜びの涙を流した。
(2007年の秋、クラレンスが縫った星条旗は、ユタ州プロヴォのブリガム・ヤング大学に貸し出され、現在そこに展示されている。)
著者 ウィリアム・T ガーナー判事インタビュー クラレンス・H. ブレムリーとその家族のことは、私が子供の頃から知っていたのだが、つい数年前まで彼との連絡は途絶えていた。その頃までには、私自身の軍隊やその他の人生経験を通して、彼が捕虜として味わった試練の大きさをより理解できるようになっていた。 なぜこの本を書きたかったのですか? まず第一に、クラレンスのために書いてあげたかったのです。彼は自分に起こったことをあまり話しませんが、私は、人々がそれを知るべきだと思ったのです。第二に、私は、特に(第二次対戦時に)何が起こったのかあまり知らない若者達に、知って欲しかったのです。
最近、第二次大戦のベテランの体験に関する本が数多く出版されていますね。第二次大戦の何かそれほど人々を惹きつけるのでしょう。 私たちの国にとって第二次大戦は、多くの人々が実感をもった戦争だったと思います。それはアメリカ本土で戦われた戦争ではありませんでした。しかしほとんどの家族が、身内の誰かが戦場に行っていました。 彼らの息子や娘や親や兄や姉が、従軍していました。女性は工場で働きました。私たちは皆、家庭菜園を耕し、ひもやアルミホイルを貯めました。配給制度もありました。ですから戦争に実感があったのです。 でもその後の戦争は、(私は朝鮮戦争に従軍したのですが)私たちの社会のもっと小さなグループに影響を与えただけでした。それらは国全体で感じられることも、理解されることもありませんでした。実際、全く逆の戦争もありました。しかし、第二次大戦には全ての国民が参加したのです。 ブラムレー氏や他の捕虜の苦難の体験を初めて知ったアメリカ人の典型的な反応は、どのようなものだと思われますか。
それはたぶん、長い年月で変ってきたでしょうね。時間が経つにつれて、私たちの気持ちは少し穏やかなものになってきたと思います。それでも多くの人々にとって、先ず抱く感情はおそらく怒りでしょう。私たちだけでなく日本の人々も戦争によって影響を受けたことを認識したとき、私たちは幾分思いやりを持つようになったと思います。そのような認識に到達するには、時間がかかります。 彼のような存在は第二次大戦に限ったことではありません。私は素晴らしい仲間と(朝鮮戦争に)従軍しました。彼らは名も無い人々です。社会のごく普通のメンバーです。私たちが知らない間に勇敢な行為をしている人間は、いつもいるんですよ。どの国にも、たくさんの善人がいます。 あなたの本が日本人読者にも読まれるとしたら、どんなメッセージをそこから得て欲しいと思われますか。 アメリカの読者に望むことと同じだと思います。ほとんどの人々は仲良く暮らしたいと願い、ほとんどの人々は基本的に善人だということです。クラレンスの場合は、神を信頼し、そのことが彼をより強くしました。私は、この本を読む人が神を信じようが信じまいが、少なくとも、この種の信心から来る強さを知って欲しいと願っています。 でも正義はどうなるのでしょう。あなたは判事でした。元捕虜が、今でも彼らを奴隷のように扱った会社からの謝罪を待っているという事実に対する、あなたの正義感はどのようなものですか。日本政府は最近、捕虜に対して為した非人道的行為について謝罪しました。でも会社は沈黙を守ったままです。 私は、自分が担当判事だった事件で正義が得られなかったケースを思い出すことができます。ある男が複数のレープで起訴されました。私には、彼がそれらの犯罪を犯したという確信がありました。でも、陪審員は有罪にしなかったのです。私にはどうすることもできませんでした。そのことで本当に悩んだのですが、私は、自分の信条を思い出すことにしたのです。それは、私たちの手によって正義を引き出すことができなかったとしても、正義というものは最終的には必ず達成される、ということです。 このように思えるかどうかは、各人の個人的な信条にもよるでしょうが、私はそう信じています。 私たちは、正義が達成されるためにできる限りのことをすべきだと思います。でも、それが起こらなかったら… それを受け入れ、心の区切りを付けて前進すべき、ということですか? そうです。
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